「探しもの」–まだまだ探す気ですか

「Apple-jeans」     2020  Tempera on canvas  F6

井上陽水の「探しものは何ですか」ではないが、まだまだ探す気ですか、の心境を味わい続けている。見つかるはずもない「精神的な」探し物ではなく、物理的な「電源ケーブル」を、捜索を諦めてネットで新品を購入するか、まだまだ探す気ですか、の二択というわびしい話。

今日はある展覧会の、関係者だけのオープニング・パーティが午後4時から。私も出品していて、行くつもりではいたのだが、朝、昨日からの頭痛が少しあり、「風邪気味かな?」と思ったので遠慮することにした。そして、雨戸の修理。できなかった。それからケーブル探し。何かを探すということは、結局は片付けをすることにもなり、大規模な掃除に。でも、見つからない。その間に昼食を摂り、魚だったので、一部を時々庭に寝そべりにくる猫(首輪をつけている)にやり、食うところを見たりしながらケーブルを探す。

実は、もう3日も探し続けている。探す範囲は限定されている(それが思い込みなのかも)ので、一箇所あたりの捜索時間は相当になるはずだ。自分の顔のホクロ探しよりも慎重(なはず)だ。半年前、そこに置いた時点から、「ここはマズいかも」との不安だけがズバリ的中した感じ。

そろそろ諦めて新品を買うか、まだ探すかの選択が迫られてくるタイミングだ。嫌だなー、何でこんな時に雨戸が壊れなくちゃならないの!そういえば、インチサイズのマットがたくさん余っていたなあ–とか、何でこんな時に思いついちゃうんだろうかな。

百人一首

「西洋梨」 2020、1 水彩・F6

10年近く前から、俳句を始めた。何か趣味と言えるものがあったらいいな、と思ったからだ。元手がかからないし、考えるのも十七字だけというのが、相当ものぐさな自分にもできるかなという、(多くの人と同じ)不純な気持ちからだった。とりあえずすぐ挫折しないために、(小規模過ぎる)句会で指導してもらうことになった。月1回の句会だが、昨年暮れに記念の100回になった。初めはいろいろ試してみたくて、独りよがりの、かなり偏った句を多く作り、メンバーの顰蹙を買った。

最近は十七文字ではほとんど何も言えないと感じてきた。一応、伝統俳句だから季語を入れる。これで大体五字を遣ってしまう。残り十二字だが、具体的な事物の名前や若干の描写などで五文字ほど消費する。残りの七文字で自分の気分や意思を伝える、なんてできるわけないと感じてきたのだ。確かに名作、十七字だけとは思えないほどの深さや広がりを感じる「名句」というものはある。けれど、私のような凡人にとっては、どうしたって人真似、類想句にならざるを得ない。

それで三十一文字の短歌なら、季語も要らないし、丸々自分用に使えると思って、現代短歌の本をちらちらと読み出した。すると確かにずっと面白い。けれど作るとなると七文字と三十一文字では4倍以上大変なこともわかってきた。これは時間的にも精神的にも負担が大きい。一方では俳句もまだ継続中。そんなわけで、時々は短歌を作って、前半の十七文字のところだけを俳句とすれば、一石二鳥ではないかと考えたのだった。

そんなにうまくいくわけはないと思ったが、やはり予想通りであった。短歌でも大事なところ、言いたいところは後半なのだ。でも、そこで一つ気がついた。短歌の前半、つまり大したことではないところ、そこは風景や情景という、いわば「背景」を説明する部分。まさに「花鳥風月」の部分じゃないか。なるほど、俳句というのは大事なところをすっぱり切り捨て、七文字じゃとても言い切れないからと、読む人に思いっきり丸投げしてしまうブラック商法なのだなと。-ここでやっと「百人一首」に繋がるのだが、王朝時代のゆったりした叙景の「コツ」を覚えるには、万葉から新古今集あたりまでの名作がたった百首に絞り込まれた「百人一首」が一番手っ取り早いのではないかという、およそ趣味的ではない発想で、読んでみることにしたのだった。ところが、どうもこれがいろいろと後を引きそうな気配濃厚で、ある意味困っているところです。

チャドクガ(茶毒蛾)退治は冬のうち

「Seed(種)」2019 F10 tempera on canvas

1月5日。どうしても気にかかって仕方なかった、チャドクガの卵探しに再々チャレンジ。昨年の大食害からかろうじて残った2本の椿とサザンカの葉裏から、とうとう見つけた!それも15個も。一つの卵塊から平均100匹ほど幼虫に孵化するというから、1500匹近くを事前に退治したことになる。大戦果。

アメリカのトランプ氏がイランの現役将軍を暗殺したのとは意味が違う。彼はスズメバチの巣を叩く、そのあとのことまで考えないただのわんぱく小僧だ。スズメバチを、単に人間を刺す悪い奴だ、という思い込みしかないガキ。でも、それを「ゼッタイ応援するよーっ」なんて、ゴルフクラブを掲げてバンザイするバカが、何人もいるから困ったもの。こういう輩は地球上からスズメバチや、(チャドクガが発生しないように)椿の仲間の木を根こそぎ絶滅させれば解決だと考えるような野蛮人だと言って良い。

話を戻す。チャドクガの卵はネットで検索すると出てくる写真のまんま。ただ、実際に見ると意外に小さく(直径7、8ミリ〜1センチほど)、つい見過ごしてしまう。この枝、この葉はもう何度も見た思っても、さらになお数回見返してやっと見つける、という感じ。ウコン色の卵塊を見つけても、間違っても素手で触ったりしてはいけない。毒毛針でしっかり覆われているから。

チャドクガの卵は簡単に見つかりません。けれど、1個見つけると2個目、3個目は少しだけ慣れて、見つけやすくなる。考えてみれば、チャドクガだって生物淘汰の歴史を生き残ってきた一種の「猛者」。種の存続には最も重要な卵を、簡単に見つけられ、抹殺されない方法を編み出してきたからこそ現代まで生き残ってきたはず。「種の保存」という大事業の陰には、実に様々な仕掛けが隠されているということを学ぶ貴重な時間にもなった。