動画を作ってみた

「 バタフライ 1」

コロナ禍で気が滅入る。時々自転車に乗り、マスクして一人で権現堂の桜をぐるっと一回り見に行ったりするが(今年の桜は静けさも加味され、とても美しく感じる)、スケッチする気にもならずそのまま帰ってくる。運動を兼ねているから、少し汗ばむまでただぐるぐると走り回る。アホみたい。

教室はとりあえず全部休みにしたので、少なくとも1ヶ月半まるまる空いてしまった。制作と研究(といっても、あれこれ思いついては描き、とりあえずかたちにして、どこがよくてどこが悪いか、どうすればさらに良くなるか考えるだけだが)は時間があるから、普段よりちょっとは進む。けれどそれはもう何十年ものルーティンの延長でしかない。それより、これまでできなかったことをプラスすることで、なんとかコロナの仇を討ちたいと考えていた。

その一つが動画を作ること。もっともポピュラーな、写真(または動画撮影)を動画に編集することも考えたが、まずはパラパラ漫画を描いてみたかった。思えば小学生の頃ディズニーの動画に憧れ、授業中にノートや教科書の端っこに動きを分解した絵を描いては、パラパラとめくって一人で楽しんでいた。それをみんなに見せたいと強く思っていたが、夢は夢のままだった。単純な動画だが、それがこの年になってやっとできた。ちょっと嬉しい(実はかなり)。コロナめ、いまに見ていろ。

パラパラ漫画の描き方は小学生の頃すでにマスターしていたが、実際にデータとして画像化するにはパソコンにもっと慣れる必要があり、実はそれがとても億劫だった。ペン・タブレットを買った時からそのうち描こうと思ってはいたが、実現するのに10年も足踏みしてしまった。いかに怠け者か我ながら呆れるが、作ってみるともう少し頑張りたいと素直に思う。

コロナ休み

「 Green apple 」 2020

現在、世界のおよそ3分の一にあたる人々に、移動の制限がされているらしい。Covid-19が猛威をふるうヨーロッパでも、犬を散歩させる場合でも自宅から10m以内という厳しい制限のあるところもあれば、庭や公園で友人たちと食事を楽しんだり、スポーツなど身体接触があっても(全体として気をつければ)OKというレベルの国、地域もある。みんながみんなパニックになっているわけではない。

外出制限、テレワーク(自宅でのパソコンによる仕事)、休校、レストランなど生活必需品の販売以外の商店の閉鎖、三人とか五人以上の集会禁止、ほぼあらゆるイベントの中止、美術館・博物館・図書館・劇場などの文化施設の休館…など、要するに強制的に自宅で休みを取れということ。普通のときと違うのは、いつ休みが終わるのかわからないということ。そして、長引きそうだということ。

アメリカ・エール大学のインターネット通信講座の受講者が50万人増えたという。この機会に、新しい資格を取るための勉強を始めたなどというポジティブなニュースが、スマホやパソコンの画面を駆け巡る。「不安がっていても仕方がない。お前も前向きに何かためになることをやれ(文句をいうヒマがあったら)」と圧力をかけられているような気がして、かえってストレスだ。ポジティブも結構だが、ただ体を休めるだけだって悪いことじゃないだろう。

海上で遭難し、ゴムボートなどで漂流する時、早く死ぬ人は体力の消耗より、先が見えないことのストレスによる方が多い、という話をどこかで聞いたことがある。だいぶ昔のことだから、今もそれが事実なのかはわからない。でも、先の見えないのが大きなストレスになることは確かだ。気を紛らす術を知っている方が絶対にいい。図書館から100冊くらい借りておけばよかったが(実際は10冊までしか借りられないが)、真っ先に休館されたのは残念だった。

皿洗い

「Apple」  2020 Alquid

皿洗いしながらいろんなことを考える。じっと座って考えるより、皿洗いしながらの方がなぜかいい考えが浮かぶ。散歩しながらの方がアイデアが浮かびやすいと書いてあるのをよく読むが、私の場合だと目についたものからすぐ連想が広がってしまい、考えることには向かないようだ。

考えることの中身はほとんどの場合、これから描こうとする絵のことだから、朝食のあとの皿洗いが一番重要だ。だからといって、ボーッとして皿を落として割ってしまう、なんてことはない。鍋やフライパンも汚れが残ってないか、シンクの底や縁にソースやキャベツの切れ端がくっついていないかもちゃんと点検する。昨日より今日のほうがきれいになっているのが理想だと、心の中では思っている。そうしながら、頭の別のところで今日これから描く絵を描いてみる。シミュレーションするのである。

実際に描くと、絵の具の滑らかさ具合や、偶然できた色ムラなどに気を取られてしまうが、シミュレーションではまるで他人が描くのを見ているように冷静だ。そして途中で「あれっ?ここおかしいぞ」という場面で停止する。ほとんど録画再生の感覚。頭の中の映像を何度も再生して、気になる部分の原因と解決法を考える。

洗い物はほんの少しだから(特に朝は)長くても30分。普通は15分ほどで終わる。たいていその間に目先の解決法はできあがる。大したことは考えられないし、一回分しかない。それでも、実際にキャンバスの前に立つ前の、このシミュレーションはとても有効だ。皿洗いは私に課せられているわけではない。じっと座ったり、立ちっぱなしだったりするので、頭のリフレッシュと腰の血流のために勝手にやるようになっただけ。皿洗いと絵画の新しい関係である。