「奇跡」の場所

      「木陰」  水彩

木陰でスケッチをする。日差しは少し強いが、樹陰を抜ける爽やかな風が心地よい。スケッチの出来映えが気にはなるが、ともかくも写生できる環境が、今この瞬間にあることが嬉しい。

世界のニュースにちょっと耳を立てると、ウクライナ戦争、イスラエルのガザ侵攻、イランとの戦争開始以外にも恐ろしい出来事に溢れている。備蓄米やコメの値段がどうのこうのというレベルなど、平和の中の小さなさざ波のようなものかもしれない。けれど、それが死活問題になる人や企業もあれば、学校給食のような育ち盛りにまで影響を与えているのも事実である。
 今や世界はあらゆるところで繋がっていて、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の、戦争への無償支援かと思えばそれが実は膨大な利益になっていたり、時には微妙、時には露骨な関係で結ばれている。けれど、もとをたどっていけば、要するに前時代的な「力づく」「暴力主義」から人間が一歩も進めなかった世界、とも言えそうだ。

とはいえ、小さいなりにでも自分の出来ることは、できるだけやっていくしかない。できることも人それぞれ、関り方もケースバイケース、それが無駄なのか、回り廻って最強効果になるのかは、もう誰にも分からない。まずは目の前の、こんな安全な場所でスケッチできることの「奇跡」を、一秒でも長く、一人でも多く共有していくことが大切だと感じる日々。

関宿城は閉まっていた

  関宿城の雄姿? 2025.06.16
スーパー堤防の上は広い空。川の左は千葉県、橋の向こうは埼玉県、撮影地点は茨城県

晨春会展の終了翌日、しかも久しぶりの晴天だった昨日。腰痛対策で、思い切って歩いてみようと夕方いつもの散歩コースに出かけた。けれど、歩くにつれて腰の痛みが強くなり、無理せず3~4kmほどでやめた。

その分を自転車で補おうと、そこから千葉県野田市の関宿城へ行ってみた。初めて行った時は結構距離があると感じたけれど(片道10kmそこそこなのに)、何度も行くうちに「ちょっとそこまで」感覚になってきた。実際、走ってみると物足りないほどすぐ着いてしまう。車は来ない、道は広いし、風も気持ちいいから近所のスーパーマーケットへ行くより気が楽かも、だ。眼も良くなるような気さえしてくる。ヒバリの声が頭から降ってくる。残念なのは、単純過ぎてすぐ飽きてしまうこと。やっぱり、なにかしら小さな課題を見つけたくなる。

中学生の時、ごく普通の自転車で、見知らぬ町まで山越え100km以上を走った冒険には比べるべくもないが、なにより気分が爽快になる。腰痛で歩けなくても自転車ならスイスイ。ただし、交通事故にはくれぐれも用心だ。

県展へ行ってきた

「カモメのように(イカロス)」 テンペラ

北浦和の近代美術館へ「埼玉県展」を観に行ってきた。忙しくて?行く余裕がないが、最低限1回は見ておかなければならない。日にちを考えると今日しかなかった。腰が痛く出かけたくなかったうえ、暦の上では仏滅で嫌だったが、雨に降られなかっただけでも幸いだった。

鑑賞しながらいろいろ考えた。まず、絵のレベルが下がっているのではないか、とも感じた。壁が低くなって入選しやすくなっていることと、関係があるのかどうか。人口動態に比例して出品者の高齢化とともに発想が平板で古臭くなっているのか等々。99歳の出品者などが頑張っていることは知っているし、それはそれで立派だと思うけれど、心躍るという意味では、高校生の絵だけが面白く見えた。中高年、負けずにもう少し頑張ろうぜ!