ウォーキングのゴールは?

女性の習作(CG)

昨年11月後半からウォーキングを始めたことはすでに書きました。せいぜい三日坊主、と自分でも半分くらいは思っていましたが、(なんと!)今も続いています。たぶん、わたしはもともと飽きっぽくない性分だと思っていますが、コロナもあって、ほかにやることがなくなってきたことも、続いている理由でしょう。

ちょうど2ヶ月経った時点での、ウォーキングの結果です。 体重-1㎏の目標に対して-4㎏。達成率400%?腹囲は測ってないが、ベルトの穴が2つは違うから効果はあったと思います。ほぼ毎日10000~12000歩(7~8㎞)を目標に歩きました。歩かない日が1日あり、その日は380歩のみ。天候が悪かったからですが、歩こうと意識しないと、こんな生活です。
 オマケ:①足腰がしっかりしてきた実感 ②腰痛の湿布をほとんど使わなくなった ③食事についての基礎知識仕入 ④遠くを見ながら歩くので(早朝ウォーキングは止めた)、眼にも良いような・・・です。

でも、問題はむしろここから。目標は早々と達成なので、続けるつもりならそのための「目的」が必要になってしまいました。歩くこと自体も嫌いではないが、続けるにはもっと美しい風景が必要だ。ダイエット自体が目的ではないとすると、「健康」?でも、もともとさほど健康志向でもないので、それではたぶんモチベーションが続かない。うーむ、問題が本質化してきたぞ。オマケも、ずっと同じオマケじゃ物足りなくなるのは人の常。これも問題が深いぞ。誰ぞ、よい知恵を。

CG:コンピューター・グラフィックス

すわる女性 CG

上の絵は写真をもとに、ペンブラシというソフトで描いた。イラストなどを描く人の誰もがやる、初歩中の初歩のCG。誰でもやるが、誰が描いてもおなじになるわけでもない。たとえば写真の上にトレーシングペーパーを置き、その上から鉛筆でなぞるというだけの単純作業でも、十人十色のなぞり方をするようなもの。

「コンピューター・グラフィックスなど誰がやっても同じ結果になり、個性を発揮できずつまらない」と以前は考えていたが、今は違う。同じメーカーの鉛筆を使ったからといって、誰でもアングルやピカソのようなデッサンができるわけではない。CGは道具の一つに過ぎない。使い方にもむしろ「個性が出てしまう」。

一方で、コンピューターは鉛筆とか毛筆とかの画材の違いというレベルにとどまらない、別次元の道具でもある。自動車の普及が私たちの生活を変え、日々の考え方にまで大きな影響を与えてきたように、CGを経験することがわたしの思考法だけでなく、感性にも(いいかどうかは別にして)大きな影響をあたえ(てい)るのは間違いない。

その影響で自分がどう変われるのか、楽しみながらCGを描いている。このような絵や動画制作・編集。その前提となるカメラやパソコンそのものの基本知識。どれをとっても難しいし、考えるだけでも億劫だ。何十回も同じ間違いを繰り返すどころか、時にはすっかり忘れてしまう。誰のせいにもできないから、「お前が難しすぎる」とパソコンに当たり散らしながら、とりあえずこの瞬間もパソコンに向かっている。

Study

Apple ‐包む study1
             Apple-包む study2  (画像を拡大してみてください)

実際の材料を使った制作のための習作(study)を描いている。パソコン上にはたくさんのブラシ(筆)があり、良さそうなものを一つ一つ試しながら使っている。どれほどの数のブラシがあるのか見当もつかないし、果たしてどれが最適なのかも全然分からない。おそらく一生かかっても使いきれないほどの数や使い方があると思う。なんとなく有名なものを試してみる程度しか、今は選択力もない。

描きながら「ふーん、こんなことができるんだ」。ひと昔前、初歩的なペイントソフトを使ってみて、使い物にならないと思ったのがウソのような進化。たとえば油彩ならぬるっとした手応え感や、水彩筆が紙とこすれあったり、じわじわと染みていく生理的な感覚はまだないが、鉛筆ブラシやペンブラシなら既にそうした触感もあるというから、それらがパソコン上で感じられるのも時間の問題だろう(私が知らないだけで、もうできているのかも)。

「英語ができるようになるには、頭が英語脳にならなければならない」と聞いたことがある。日本語で考え、それを英訳しているようではだめだ、という話だった。何か国語も話せる人は、話すときには瞬時に、その言語で考えるように頭が切り替わっているらしい。一種の多重人格のような感じだが、パソコンもそうなのかもしれない、と感じてきた。

水彩絵の具をチューブからパレットに絞り出すとき、頭は、それがいま塗られている絵の具にどう混じりあうか考えている。そして次の瞬間にはそれも忘れて、目の前の状況に反応していく=『水彩脳』。パソコンで水彩絵の具を塗るときはまだ、頭の中で現実の絵の具を想像している。それでは頭の中で英作文してから話すようなもので、かったるい。習作(study)を重ねながら、パソコン脳をStudyしている。