「夏の夜のベランダ」(水彩)制作

「夏の夜のベランダ(未完・部分)」(水彩。斑点はアキーラ)

今日は終日水彩を描いていました。普段は絵画教室の生徒さんの絵を批評するだけ。偉そうに口で絵を描いています。口で描いているとだんだん理屈だけは上手くなってきて、自己暗示にかかるのか、何でも上手に描けそうな気になってきます。たまに実際に描いてみるとオッ、オッ、か、描けないじゃん、って感じでやばいです。

そんなわけで、今回はスケッチブックより大きい画面(F60号)にコッソリ「お勉強」です。

この絵を(生徒さんの絵だと思って)批評してみると、以下のようになるでしょうか。①(緑、黄、赤)それぞれの色が高彩度で主張し合い、画面が分裂気味 ②モチーフも、静物・人物・風景とデラックスに盛り込み過ぎ ですね。でも、ちっとはチアー・アップしないとやる気無くしますから急いでフォローします。①’そのぶん、元気のいい画面になってるよ ②’モチーフは確かに大盛サービスし過ぎだが、植物、人物、風景と描写レベルに差をつけているのはGood!  ③’失敗は他の人を元気にしますよ とか。

制作現場の反省としては(まだ「未完」なんですが?)、なんだか変に肩に力が入り過ぎてブリキのロボット感。こんな時は、しばらく放っておくと頭を冷やす効果があります。「ひさしぶり」ってのが肩に力が入る理由ですね。コンスタントに50~100号サイズを描き続ける必要があるってことでしょう。でも、それはあくまで勉強のため。自分自身が心地よくなるために描くなら、画面の端々まで手が自由に届くサイズがいいでしょう。10~20号くらいですかね。あまり小さい画面だと気持ちまで縮んでしまいます。

マイ・カメラ悲話

マイカメラ (CGスケッチ)

わたしは電気機器や電子機器、IT関連の機器も、というより機械類すべてが苦手だ。このブログを書いているパソコンももちろん苦手。とは言っても、パソコンの一般的機能、たとえばネット上での検索、メールの送受信、簡単な表計算、ワードなどで作る文書類。写真の取り込みと加工、簡単なイラストやデザインを描く、などには少しずつ慣れてきた。パソコンを使い始めて20年以上になるうえ、ほぼ毎日何らかの用事で使うのだから、多少は慣れない方がおかしいくらいだ。

カメラも苦手である。これでも大学1年生の時は写真部員だったのだから恥ずかしい。写真を見る面白さは多少わかったが、機材に対する研究心が全然足りなかった。けれど、今時絵を描く人で、スマートフォンか本格的なものかは別にして、何らかのカメラの世話にならない人はいないのではないか。わたしもどうしても動画を撮る必要があって、昨年末にこのカメラを購入した。

本当はこれの一つ上のグレードのものが欲しかったし、買うこともできたのだが、いろんな制約があってのギリギリの選択。なのに、いったん用事を済ましたあとはほとんど使っていない。買ったときは、これから一生懸命動画を撮り続けるぞという意気込みで、動画編集ソフトもセットで購入したのに、その動画編集がわたしにとって難しく、急速に気持ちがしぼんでしまったのだった。

コロナ禍はまだ続く。やっぱりこの機会に当初の目的を果たそうと、久しぶりに取り出した。でも、見事なほどスッキリと脳の記憶回路が空になっているのに、自分でも驚く。さいわいiPadでの描画ソフトにはだいぶ慣れてきて、いまはスケッチブックと同じ程度に気軽に扱えるようになっている。それで、スケッチのモチーフという、哀し過ぎる「カメラの使い方」になったという、涙の物語。

宴(うたげ)のあと

「木立ベゴニア(部分)」 2021 F60

コロナ禍。東京都が3日連続で新たな感染者5000人以上(全国では25000人以上。症状があるなど自ら申し出た人だけで)、東京都だけで累積30万人を越えたという。一都三県だけでなく、大阪をはじめ、全国でも軒並み感染者数最高を更新し続けている。神奈川県知事などは直接その言葉こそ出さないが、事実上のロックダウンを政府に求めている。統計医療が示した想定のうち、「最悪のケース」が現在進行中である。

感染者数増加で、「すでに医療崩壊状態だ」とかなりの数の医療関係者が、警鐘どころか非常ベルを推しているなか、当の東京都知事はすましたものだ。柔らかい口調で「災害級の感染増」「帰省は諦めて」「買い物に出ることも控えて」「他人事でなく自分事と考えて」。「感染したら死ぬかもよ」とばかり、言葉はお願いのようでいて、中身は脅しのような言い方だ。

そのくせパラリンピックはやるという。オリンピックをやるべきではないと提言したコロナ対策の分科会会長を暗に皮肉りながら、「安心安全なオリンピックを開催できたという経験を生かして」「児童、生徒には(中略)貴重な機会だから、ぜひ(会場で直接)観戦させたい」。ならば一般市民も「(安心安全だった)オリンピック期間中と同様」気を付けながら外出すればいいのではないか。IOCのバッハ会長が銀座へお買い物に出た時も「不要不急の判断は個人がすること」と五輪担当相は言った。ならば「帰省」も「他人事と考えず」などと言われる筋合いなどない。自分で判断すればいいと大臣も知事も言うのだから、「不要不急」云々など余計なお世話である。第一、都内への通勤は全く問題にしないが、近場のショッピングに出かける事さえ控えて、という論理は矛盾している。人命より経済優先、自分都合のパフォーマンス優先と言われるのも当然だろう。

何を訊かれても、「ワクチン接種が進めば」と馬鹿の一つ覚えだったどこかの首相も、緊急事態宣言の拡大地域名を並べただけで、あとは雲隠れ状態。大見得を切った、頼みの綱のワクチンそのものが不足する事態を招くなど、危機管理能力ゼロだと思ったが、そもそも危機感自体が無いのだろう。ずっと頭にあるのは、目前に迫った自民党総裁選と衆議院選挙のことだけか。首相の頭にはパラリンピックなど、もうどうでもいい事柄に違いない。選手には気の毒というしかないが、どう考えても、この状況下であえて開催する意義は見いだせない。国民も、賛成も反対もなく、「何を言ったって、どうせやるんだろ」と、ほぼ無関心という心の隙間を小池氏に突かれてしまっている。そのあたり、政治家としては首相より数段うわてなようだ。