雑草

わが窓辺では最もデリケートな植物

「雑草という名の植物はない」。すべての植物には名前がある、とかつて昭和天皇が言ったのをラジオで聴いたと、母がよく言っていた。昭和天皇は植物の研究でも知られた人だった。

昨日、散歩の途中で道端の雑草の下が黒ずんでいるのに気がついた。通り雨があり、その下がまだ乾かないのかな、という感じの黒ずみ。でも、昨日は雨など降りそうもない天気だったし、道の反対側を見ると黒ずんでなどいない。おそらく、除草剤だろうと思いついた。

道端の雑草は背丈ほどになり、傾いできて歩行者にも自動車にも邪魔なほどになっている。同じ道の先の方ではすでに雑草が刈り取られている。想像だが、連日の熱中症警戒アラートで、市から除草を委託された業者も、日中の刈取り作業ができなかったのに違いない。そこで代替案として除草剤を撒くことで話がまとまったのだろう。

来年も同じように暑い日が続くことがある、とは誰もが予想しているに違いない。とすれば、やはり来年も除草剤を撒くことも想像できる。最近の気候ではそれが何年も続くかもしれない。土壌に染みこみ、濃度を増していく除草剤の、人体や環境への影響も考えられるけれど、市レベルの予算ではそんな調査など想定外のことだろう。
 ときどき自分を雑草と比べてみることがある。「雑草のようにたくましく」生きれたら、なんて憧れたりするのだが、除草剤撒かれちゃうのかー、となるとどうしていいかわからない。今日は久しぶりに夜中に雨の予想。雑草の身からすると、「強い雨で毒を流してくれないかなー」なんて願っているかもしれない。

異常な暑さ続く

「盛夏浄土」習作(前回とは別作品です)

異常な暑さが続いている。「異常」というのは、例えば北海道北見市で昨日(7月24日)最高気温39.0℃(北見市での過去最高)を記録したことなどを指す。「異常」かどうかは、ほんらいは「個人的な感覚」の問題で、例えばインド・デカン高原で40℃を越えたからといって、誰も「異常」などとは思わないが、(涼しいはずの)北海道の北見だから、そういう言いかたをしても、まあ不適切でもないだろう。

夏の暑さでよく話題に上る埼玉県熊谷市(日本最高気温41.1℃.2018、同静岡県浜松市2020)とか群馬県桐生市、岐阜県多治見市などでは、「普段より暑いなあ」くらいにしか思わないかも知れない。ちなみに北見市の過去の最高気温を見てみると38.1℃(2019)、37.2℃(2021)となっていて、第4位以下は37,1℃が2022、2023と続き、10位が37.0℃。つまり、例年なら37℃あたりまでがピークだから、それよりいきなり2℃も高かったことになる。それにしても北海道も、ついに南国化してしまったことの象徴なのだろうか。

ある錯覚

「盛夏浄土」  水彩、F6

教室でのデモンストレーション制作をしてみた。写真にしてみると、「垂直」がかなり傾いていることに気づく。あらためて作品を見ると、この写真ほどには感じないが、垂直線が右に傾いているのは確かだった。

後期印象派の画家、セザンヌの垂直線も10度くらい傾いている。それを指摘している美術書をわたしは見たことがないが、あれは感覚的な“クセ”だろうと思っている。セザンヌの “10度” は、垂直線に対して、どれも同じ角度で傾いているから、わたしは癖だろうと判断したのだが、わたしの場合、よく見るといくらか放射状に開いているように見える。つまり、これは癖ではなく、なにかの原因による「錯覚」だと思う。

水平、垂直にかけては、絶対の自信を持っていたはずの自分の感覚に、ゆらぎを感じざるを得ない。理由はなんだろう。視力が悪くなってきたためか、感覚が鈍くなってきたせいか、視野が狭くなって比較がおろそかになってきたからだろうか、等々。

おそらく一つの原因というのではなく、複合的に重なり合って「錯覚」が起きているのだろう。まあいい。こういうことが自分にも起こるようになってきたということを、自覚しておこう。