雲が凄過ぎる

夕焼け雲の写真を撮っていた
強い風が吹いてきた
雲がずんずん大きくなっていく
あの雲の中はどうなっているのだろう

先日「夕焼けが凄過ぎる」という記事を書いた(7月3日)が、今度は凄過ぎる雲を見てしまった(8月8日)。恒例の広島原爆の写真を何度もメディアで見せられ、しかも明日は長崎原爆の日という夕方、自転車で帰宅中、急に背後から強い風が吹いてきた。自転車を止め、振り替えると、上がテーブル状になった雲が、覆いかぶさるように急速に湧きあがっていた(上から2番目)。原水爆のイメージが一瞬脳裏に浮かぶ。

上が層状に、平らになる雲自体はそれほど珍しいものではない。積乱雲の上端が対流圏界面(成層圏との境目。両極や赤道上など場所などにもよるが、高度6km~17kmといわれている)に達すると、雲はそれ以上高くなることができず、横にテーブル状に広がっていく、いわゆる「かなとこ雲」で、この雲もそういうものだということはすぐに分った。つまり、雲を成層圏近くまで押し上げるほどの強い上昇気流がそこにある、ということだ。

見たことがない、と思ったのは一番上の雲が、スカートの襞を上下逆にしたような、襞状になっていることだった。そしてはっきりと分かる三段積み。さらに下から四段目の雲も頭を出し始めた。これは帰宅までに降られるに違いない、悪くすると雹(ひょう)になるかもしれないと、覚悟した。

けれど、そこまでだった。それ以上迫ってくることはなく、ゆるく広がっていくだけになった(といっても、この大きさだから、両端は凄い速さで広がっているはずだ)。原爆の(ような)雲を、よくキノコ雲と呼ぶが、これも初茸や一本シメジのようなかたちをしているから、キノコ雲といったら紛らわしいだろうか。
 不気味でもあるが、夕陽を浴びて雄大に広がる様は、神々しさをもまた感じさせた。

盛夏の候―アップしました

水彩での「盛夏の候」をアップしました。またまた長い間隔になってしまいましたが、「盛夏」どころか、「地獄の暑さ」だったから。ビデオの中で「涼しそうだからもうちょっと『熱』を加えよう」なんて吞気なこと言ってますが、現実はそれどころではなかったことは、皆さんも味わった通り。涼しい「盛夏」をぜひご覧ください(笑)。

先日の暑さを絵で表現するには、それにふさわしいモチーフが必要だが、青い海→爽やか、になってしまうし、入道雲→夏一般、などになってしまう。アイスクリームやかき氷は夏の風物詩だけど、狙いは涼しさを感じさせる素材ですよね。見ただけで汗が出そうなモチーフ、しかも夏といえば何があるだろうと、考える。救急車では川柳になってしまう。

例えば登山。登山そのものは青い海と同じく、爽やかな空気を感じさせもするけれど、重いリュックと登山靴あたりに焦点を当ててみたら、もしかすると経験者は汗を感じるかもしれない。経験のない人は?うーん、まあ想像してもらうしかないね。

最近、ウォーキングしながら夕焼けの雲をよく見る。雲は毎日見ているのに、なぜか見飽きることがない。三度のご飯のようなもの、とは違うけれど、いつか夏の雲だけの連作をしてみようと考えている。

立秋2025

このずんぐりした「厚み」と透明な翅が特徴らしい

今日は立秋。「蝉」は俳句では夏の季語だが、もちろん今日もたくさん鳴いていた。でも、異変がある。

今年は特に蝉の声が少ないなあ、と感じていたが、その理由が分かった。蝉の種類が替わったのだ。当地では、蝉と言えばあのやかましいジージーというアブラゼミが主流「だった」。それが、シュシュシュシュというクマゼミに置き換わったのだ、と確信した。蝉の声がしなくなったのではなく、「やかましくなくなった」のである。

東京の代々木公園でもクマゼミが増えてきた、というのは何年も前から知っていたが、当地でもクマゼミが大勢を占めているとは想像していなかった。考えてみれば、「庭で、(畑で)甘い蜜柑が採れた、オレンジが採れた」と知人たちから聞くようになっていた、つまり “亜熱帯” 化が進んでいたのだから、当然といえば当然のことだったが、ジージー=蝉とばかり思いこんでしまっていたようだ。温暖化だけでなく、都市化も影響していると言われている。

もちろんアブラゼミの声もするが、耳をそばだてないと聞こえないほど。すでに少数派なのだろうか。ミンミンゼミも少ない気がする。今日はウォーキング中、ツクツクボウシも久しぶりに聞いた。カナカナもいるに違いないが、寂しげなその声は、もう少し山里近くに行かないと聞くことができなくなったカナ。
 蛇足だが、カナカナといえば、福島県・会津の山の中で聴いた「全山カナカナ」の大合唱が忘れられない。