「T」の構図

T の構図

絵画の話。昨日のブログに載せた絵を例にすると、上の画像のように「T」の構図を意図的に作っている。Tの縦の棒を左右にずらす構図もよく使う。わたしの好きな構図の一つである。

なぜこんな構図が好きなのかをちょっと考えてみると、わたしのへそ曲がり具合が反映されているらしいことはすぐわかる。ある意味、構図はその人の性格や考え方、感じ方も暴露してしまうのかもしれない。

T という字形は不安定である。それを好むということは、不安定を好むということでもある。わたしは“抵抗分子”かも?絵画でも、まずは「安定した構図」を基本とする。初めから不安定なのは、基本を知らないか、(身体の)どこか悪い可能性がある。安定構図の代表は「山」または△(三角形構図)と呼ばれる“どっしり”型。山の頂上、三角形の頂点を少しずらし、ほんの少し動きを加えて使うのがオーソドックスなやり方だ。

Tや▽の構図は不安定感そのものが目を引く。だから、モチーフもそれにふさわしいものが選ばれやすい。それがここでは“超”保守的なモチーフを描いているぶん、二重に反抗的だろう。そういうへそ曲がりさがこの構図に見えている―そしてこのような感覚はあらゆる世界に広がっている―こんなふうにわたしは絵を見ているのです。

健康アプリによれば

黄色のりんご 水彩 F6

もう12月に入ったと焦っているのに、さらにもう8日も過ぎてしまった。なのに、わたしは何をやってるんだろう。

今週の睡眠時間をアプリで見ると平均4時間18分。こりゃマズいわ、また腰にきてしまう。眠る眠らないは別として、横になる時間がもっと必要だ。横になって本を読んでも、ラジオを聴いてもパソコンをやってもいいが、とにかく横になることが大事。

睡眠時間を縮めているのは、動画編集。毎日午前2時を過ぎる。布団に入っても頭が切り替わらず、すぐには寝つけない。深い眠りが来るのは明け方近くになってから。グラフにはそう出ている。そして7時過ぎには起きて、ちょっとだけ腹筋などの筋トレをする。幸いいまのところは体調はいいが、要注意だ。絵を描くならともかく、動画編集でボツの繰り返しでは、なんだか空しくなってくる。

こういう時は寝るに限る。今日は早めに寝よう(なるべく日付が変わらないうちに)。頭も体も元気でないと、良いアイデアは浮かばないという迷信を信じることにして。ちなみにアプリでは睡眠不足ではなく「普通」。深い睡眠が40分以上あればそういう判定になるようだ。確かに今日は42分と出ていた。アプリから「リッチな睡眠のご提案をします」って。とりあえず、それはご辞退申し上げておく。

「無意味」をジャンプする

スケッチブック

人生の残り少なくなった時間で、なるべく「無意味」なことはしたくない=意味あることをしたい、と考えていた。その一方で、生きるということにもともと意味なんかないという考えも、高校生の頃からわたしのなかに常に一定のスペースを持っている。

そして、都合よくどちらかをオン、オフにしてその場その場で自分を納得させてきた。それは2つの考え方が互いに矛盾すると思っていたからだが、実は、それは同じものなのだと年を取るごとに思えてきた。どちらもオンにすることが可能であるというのではなく、むしろどちらもオンでなければ、一方だけでは成り立たないことが解ってきたからだ。

まず、無意味=意味のないこと、ではなく、それははるかに「積極的な」空白(空間)だということ。絵を描くためには白いキャンバスが必要だ、と考えてもらえば解りやすい。もう一つは「誰かにとっての無意味」は「他の誰かにとっての有意味」でもあるということ。「誰にとっても意味あること」、そんなものはあり得ない。迷信か、あるいはある種の洗脳の結果(たとえば「教育」という名の)に違いない(この意味では、教育の功罪はもっと深く冷静に(国家単位などという小さなものではなく)常に吟味され続けるべきだと考えているが、ここはそれ以上を述べるのにふさわしい場ではない)。

創作の場では、「意味」は常に否定されるところから出発する。ひとつひとつの意味はすべて一度否定される。ヘーゲルではないが、名作は名作ではない。美しいものは美しくない。そこからしか創作は船出することができないのだ。「そんなこたあ、言われなくたって知ってらあ」と、巻き舌の江戸弁で軽く返されそうだが、確かにその程度のことなのに違いない。でも、もっと大事なのはその先で、さらに積極的に「無意味」をどんどん創り出すことだ。そのことによって生きること。誰かに意味づけられた人生をジャンプするには、それしかない。