動画でアップアップしました

動画をほぼ1ヶ月ぶりにアップしました。ダジャレではありませんが、本当にあっぷあっぷしました。初めは遊び的なスケッチの動画を作ろうと企画し、録画も(まあ)簡単にできた。一週間で、余裕でアップできるつもりだった。

いざ編集を始めたら、「○○的なものもあってもいいね」的なアドバイスやその方向での参考になるものなどが目につき始め、構想が大きく転換。構想がどんどん完結性を求めるようになり、そのために資料不足になり、資料があればそれらをちゃんとまとめるための言葉がさらに必要になって、進まなくなってしまった。

一ヶ月かけて、その分いいものができたかというと、現実には中途半端な気分が残っている。余裕なく、ゴールに倒れ込んだマラソン選手のような姿を想像してもらえばイメージが近い。「基礎の基礎」的なビデオの構想はまだたくさんあるが、体力が続くかどうかの方が気になってきた。

CGかペン・スケッチか

「アフリカの夢(仮題)」 ビデオの一場面から

今日は午前中の家事と午後の教室。教室では絵画「制作」の指導。ビデオの「編集・製作」は午後7時過ぎからになった。

ビデオではペンによるスケッチの方法を紹介している。が、ある意味で矛盾を感じながらのビデオ作りでもある。

矛盾とは、例えばCG上でペン・スケッチをすれば(今やパソコン上では鉛筆だろうが、ペンだろうが、水彩でも油彩でも何でも「それなりに」、かつ「容易に」使えるのである)、別段の編集なしにほぼそのまま公開でき、しかも視聴者の視聴環境に設定をピッタリ合わせることができる。なのに、わざわざ紙やペンを買い、狭い室内を片づけて撮影スペースを確保し、照明器具も並べて電気代を浪費?。さらにその録画を何十時間もかけて編集して、わざわざ見にくいビデオでの公開をする意味。

無意味は虚無につながり、虚無と鬱は仲のいい親戚である。何とか意味を見出そうと努力するより、そんなもの放り投げて、CGだけで作るか、ビデオなどやめて、慣れ親しんだペンスケッチで、もうそんな長くない一生を楽しむか、どちらかひとつにするほうが賢明というものだろう。夢から醒めた直後、誰の声か知らないがいつも聞こえてくる。

人形

人形 (水彩)

昨日、今日と「Apple-田園」の制作を休み、昨日は国立新美術館、今日は教室とそれぞれの時間を過ごす。制作中断は絵の具の乾燥状態に合わせて。

美術館へは久しぶりどころか、電車に乗るのも久しぶり。コロナ禍下、政府とその下で医療提言を行う専門部会とやらの提言のおかげで、一定の医療破綻は免れたらしい。一方で、過度の「外出自粛」ですっかり滅入ってしまった精神状態と、「移動・集合の制限緩和」というブレーキとアクセルを交互に踏むような政策による解放感とのあいだで、一種の分断が起きてしまっているようにも見える。

体長20㎝ばかりの、外国製の人形。その頭部の水彩スケッチ。十年以上前、誰かに頂いたものであることは間違いないが、書いてあるスペイン語のほかの情報はすっかり忘れてしまった。人形は漫画と似て「目が大きいのが決まり」だが、この人形の眼は一般の人間サイズ。しかも(「ぷっくり」というより)「ちょっと太りすぎでは?」というところが、妙にリアルで気に入っている。