寸描

8/27(日)アップしました

陽光のなか、車列がノロノロと動いては止まり、止まってはまた動く。車のいたるところから強い反射光がわたしの眼を射る。テレビなどでこちら側に向けて銃を撃っているシーンとそっくりだ。目の前を移動する車のかたちに合わせ、銃口の位置は移動するが、ずっと眼を射続けていることには変わりがない。

白い車が多い。塗料が安く、耐久性がいいからだ。色褪せしても目立たない。橋上の車列を横断して、川沿いに老夫婦らしき二人連れが駅の方向に向かって歩いていく。白っぽい幅広の帽子と白いキャップを被り、二人とも少し小さめのバッグを持っている。どこかお出かけするのだろう。女性は薄い青地の短い袖のワンピースに、花柄だろうか、ところどころ淡い赤が動く。男性は薄い地模様のある半袖シャツに白の半ズボン。ややずんぐりで背は高くないが、庭仕事や家事などはこまめにできそうなタイプに見える。少し歩幅狭く、彼女の1メートルほど前をせかせかと歩いていく。10秒ほどで家の向こうに消えて行った。

鮫はなぜ美しいか

スィートピー制作中

あなたは鮫が好きですか?わたしは子どもの頃からずうっと好きなんです。鮫にもいろいろな種類があるけれど、例外なく好きなんです。

子どもの頃、わたしにとって鮫は食べ物でした。今から考えると、わたしの実家では、わたし以外はあまり鮫を好まなかったようですが、わたしはよく食べました。魚好きだったわたしにとって、のどに刺さる小骨のない鮫は、安心して食べることができたからです。蒲鉾にするような大きな鮫ではなく、せいぜい1メートルくらいの、歯のない小さな鮫です。でも、それが鮫が大好きな理由ではありません。

鮫は、かたちも色も生活の仕方も好ましい。あの“JAWS” でその凶暴性が知られるようになったホホジロザメ(ホオジロザメ)ももちろん例外ではありません。好きな理由を考えてみると、①かたちや色の美しさ ②その美しさと優れた身体能力との神秘的なまでの一致感(鮫も実はマグロや鯛などとほとんど変わらない普通の肉食魚です。「凶暴性」なら、鮫以上の魚はいっぱいいます)、あたりでしょうか。

鮫ほど優雅で、身体能力が高く、奥ゆかしく、かつ好奇心にあふれ、お茶目でかわいい顔をした魚は他にいません(恋人の、あばたもほくろもすべて素敵と言っているようなものですが)。そんな鮫を人間に喩えたらどんなひとになるでしょうか。わたしには少なくとも政治家に喩えることはできません。けれど、政治家にこそそういう資質があってほしいと、いつも願っています。

波が立っている

波しぶきの表現はCGによる(制作中)

波は目の前に立っている
見上げるほど何段にも重なって
そこから風がびゅうびゅう吹いてくる
また一段
波が重なった

ドアも窓もすでにない
いつのまにか波に向かって歩いている
膝までの水の中を

もう引き返せない
けれど、もう進むこともできない
波はますます高くなって
僕を見下ろしている

とりあえず、僕は手を洗う
顔を洗い、耳を、眼を洗う
そうして波の中へはいっていく

朝、目覚めにこんな詩が浮かんだのでメモをしておいたもの。