絵画教室の人々-3

「Floating man」(part) 2015
「Floating man」(part) 2015

※実在の個人とは何の関係もありません。架空のお話です。

この年齢になって絵を描いていると、「良い趣味を持って幸せですね」という人と「今更お金の無駄遣いでは?」直接にではないが、そんな心持ちでいう人がいる。確かに。俺も心のどこかでそんな風に考えることもあるんだよね。

俺もいい歳だし、この先十年も描けるかどうかさえ分からないうえ、描いたからどうだってこともないのははっきりしている。子ども達も口には出さないが、俺の絵の具代で女房に美味しいものでも食わしてくれればまだマシな金の使い方だ、ぐらいに思っているらしい。爺はもうボケ始めて晩酌と絵のことしか頭にないと思っているのだろうが、子どもの考えなんかとっくの昔にお見通しさ。でも、あえて喧嘩なんかしない。寂しいもん。

この歳になって、絵も少しは勉強したくなった。考えてみたら、ただ感覚と好き嫌いだけで絵を見たり描いたりしてきただけだから、解らない絵は永久に解らないし、嫌いな絵はただ嫌いだってだけで避けてしまう。でもそれじゃあ、これまでやってきた経験が勿体無いというか、完成しないような気がしてきたんだ。少なくとも、好き嫌いだけで言っちゃいけない絵というものもはあるんじゃないかとは思う。漠然とはしているが、あるグレードというか、走高跳びのバーに似た非情なものがさ。それを見たいよね。

世界は広い。自分の子を芸術家にしようと90過ぎて子どもを作る奴もいれば、90過ぎて美術大学に入学する奴もいる。しかも主席で卒業、大学に残って指導する立場になるなんて…。普通じゃないって言えば普通じゃないが、「絵の世界」ってそんなもんかも知れないよ。俺もその世界の、どこでもいいからそこに自分の墓を建てたいな。

心のどこかでそんな風に考えることもあるんだよね。

 

 

絵画教室の人々−1

ウィリアム・ブレイク 憐れみ 水彩
ウィリアム・ブレイク 憐れみ 水彩

※これは架空のお話。実在の人物とは何の関係もありません。誰かに似ていても怒らないで。

私は絵が好きです。子どもの頃は「上手ね」とかおだてられて、褒められたさに一生懸命描いたのが懐かしい。学校の先生が校外展に出してくれて賞状なんかもたくさん貰ったのに、学年が上になると、なんだか絵を描いているだけで周囲から白い目を感じるようになった。本とノートを開いているだけで親が喜ぶのが分かるようになって、いつの間にか絵を描かなくなっちゃった。…そして絵のことを忘れてしまっていた。

ン十年経って、ふと思ったんだ。「お前はわがままな子だ」とか親類にも言われ、そんな気もして肩を細くしてたけど、本当はわがままどころか、やりたいことを我慢して生きてきたのかも知れないなあって。私っていつも気がつくのが人より遅いんです。

ゲージュツの道は険しく遠い(らしい)。その長〜い道程から見れば先生も私たちも大した違いはないだろうが、隣の席にちょっと先生が筆を入れると、急になんだかよく見えてしまう。もう先生の絵に洗脳されちゃっているのかな。ベテランはその辺がわかってらっしゃるのか、「先生、これちょっと良いでしょう?」と挑戦的に見せる。本当に満足しているのか、「手出し無用」とバリアを張っているのかは、新人では窺い知れぬ奥深さ。

私などこうはいかぬ。先生の顔を見るなりなぜか謝ってしまう。「済みません。全然思うように描けなくって」。思う通りに描ければ教室になど通わないと、頭の中とまるっきり正反対のことを口が勝手に喋ってしまう。自分の口ながらコントロールできず。口の代わりに手が勝手に絵を描いてくれれば嬉しいのだが、どうも自分の手は筆(と包丁と掃除機アンド洗濯機)に触るのは、遺伝的に苦手らしいのだ。それは私のせいではない。

 

 

「ばか!」

飛ぶ男 P20 2013
飛ぶ男 P20 2013

上手にボタンをかけることができない男の子が1人。

その子より幼い子でもちゃんとできたから、それは男の子が幼すぎたからではない。

男の子は初めて自分でかけたボタンをかけ違った。大人のしぐさを正確に真似たつもりだったが、そして十分に動作を呑み込んでからボタンをかけてみたのだったが、ボタンとボタンの穴はひとつずつずれていた。

彼は急いで全てのボタンをはずし、やり直した。しかし再びボタンはひとつずつずれた。彼は意地になり、何度もかけなおしたが、その度にボタンは意地悪くずれるのだった。

いや、実は何度かきちんと合ったこともある。けれど、彼は偶然にできたことに納得がいかず、必ずぴったり合うための「秘密」を知ろうとした。

それは彼にとって、大変な難問であった。どうして他の子はいつもちゃんとできるのだろう(彼にはそう思われた)と思ったが、その子に直接「どうやるの?」と聞くことはなかった。

「こうやるんだよ」と自慢げにやって見せられるだけでは、秘密は明かされないと彼は考えた。自分ができることと、人に説明できることとは別だ、と彼は本能的に悟っていた。それに、そんなすごい秘密を簡単に教えてくれるはずはない、と大人っぽく先回りして考えていた。

やがて、男の子は指から血を流しながらすべてのボタンを引きちぎり、地面に投げつけて何度も何度も踏みつけた。ボタンのせいではないと解ってはいたが。

1人の女の子がそれを見ていた。

その子はいつも自分でちゃんとボタンがかけられたが、なぜ自分がうまくできるのかなど、考えたことも無い。そんなの、彼女にとって当たり前のことにすぎなかったから。

女の子には、男の子が異様なほどボタン遊びに熱中しているように見えた。そして彼がついにボタンを踏みつけた時、まるで自分が踏みつけられたように感じて、思わず叫んでしまった。

「ばか!」                                2013/8/1