もう、言葉もない

「ポインセチアのスケッチ」

年末。子どもの頃は楽しかった冬休みから正月にかけての期間が、年を取るごとに辛くなってきた。寒さなど、関東平野部では大したことはないが、そんな体力・生理的な面だけでなく、精神面、社会的なことなどひっくるめて、楽しいことがなくなってきたと感じている。

それが老化、と言われてもあえて反論する気さえ起きないが、ニュースひとつ取り上げてみても、大谷選手の活躍と新しい契約、インバウンド景気などの明るい面より、ウクライナ、イスラエル、自民党のキックバックなどの方がずっと心にのしかかる。

イスラエルのガザ攻撃。第二次大戦でのユダヤ人への共感、同情、そこからの教訓を、当のユダヤ人自身がすっかり踏みにじってしまった。ナチスがやったことをそのまま裏返しにしているだけではないか。それを、人権と民主主義の擁護を標榜するアメリカが、国際世論を無視しての絶対的支持だ。ロシアにダブルスタンダードと嘲られるのも当然。信義は地に落ちた。唯一の核被爆国を世界に訴えながら、核廃絶への行動に一切加わろうとしない日本。「人類の知恵」など、お笑い種だ。

いま旬の話題、パーティ券のキックバックにせよ、官房長官が辞任しようと、大臣が何人辞めようと、次の選挙で、何の疑問もなく投票する人々によって、「みそぎを済ませた」とうそぶきつつ、また偉そうに大臣に返り咲いてくるのだ。日本国民の脳みそは発酵し過ぎてしまったに違いない。そんなことばかりではない・・と、思いたくても、さらに悪いことしか思いつかなくなった。もう、言葉がない。
 ほんのひとときの絵を描く時間。大切なものはすべて小さく、掌の中にしかない。

包丁一本、筆一本

顔の習作 水彩・ウォーターフォード紙

7日のブログをすっ飛ばしてしまった。深夜12時少し前、ブログを書き終わって、一杯のワインを注いだのがいけなかった。日付が変わるまでにまだ15分くらい余裕がある。どの写真をブログにつけようか、などと考えながら、ごくりと一口喉に流し込む。その前に短いニュースでも見ようとYouTubeを開いた。ウクライナ、ガザ、パーティ券のキックバックなんて見ているうちに、誰が注いだのか、2杯目が。
 すっかりアップロードしたつもりになっていた。翌日、あえてアップするほどの内容でもないか、ということでスルーしてしまった。

風呂吹き大根の真ん中に芯が残って、箸で4つに千切れない。熟し過ぎてふにゃふにゃになった柿が、皿の上にだらしなく伸びていて、手で持ちあげることが出来ない。包丁の出番である。とりあえずどちらも十字に切りさえすればなんとかなる。アーメン。包丁って便利な発明品だとあらためて考えた。
 「それを言うなら鉄の発明、だろ」と正当過ぎるツッコミを入れないでもらいたい。ちなみに、我が家でこういう状態の柿を食べるのはわたしだけである。特に好んでいるわけではないが、なぜかときどき目の前に寝そべっているのである。今年は特にその頻度が高い。が、迷惑なわけでもない。硬い柿と、ぐでぐでの柿とはまったく別種の果物だと割り切れるかどうか、だけである。一度など、すでにアルコール発酵が始まっているやつも食べたことがある。もはや珍味である。

そう、包丁の話だった。モノを切って食べるのは人間だけだ。他はすべて丸呑みか、歯で切り裂くか噛みきるだけ(吸血するやつもあるか・・)。呑み込めるのかと思うほどの大きな魚を、喉の半分くらいのところでつっかえたまま、ジレンマに悩む鳥。こんな時、彼らに包丁があったら、何の苦もなく、刺身でも、ステーキにでもして食べられるだろうに、と思わざるを得ない。水牛の角をワニはどうやって口の中に入れるのだろうか。心配してやる必要はないが、心配である。包丁さえあれば、もし噛みきれないほど硬いものでも、そのうちなんとかなる。顎を怪我しても、肉を噛みきる歯が折れても心配ない。有難い発明だと、つくづく感謝である。
 あっ、筆のことね。筆で文字は描けない(わたしの場合)が、絵は描けるから便利だなーっと。無くても絵は描けるけど、一応便利。

カレンダーは12月

「手の習作」ビデオ編集中の1コマ

今日は2023年12月5日火曜日。一昨日、日時指定の配達を頼む用事があったので、用紙を見ていたら、なんとなく頭が混乱した。あれっ?え~ェ?という不確かな感触のまま、郵便局へ行ってきた。混乱が治まらないので、いろいろ確かめているうちに、カレンダーがまだ11月のままなのに気がついた。

机のまわりにカレンダーが3つもぶら下がっている。一つはちゃんと12月になっている。ひとつは11月、残りの一つはまだ10月のままだった。見たのは11月のやつ。たまたま腰を屈めて記入したところの目の前にあったから、つい見てしまったのだった。良かった~。貧弱な脳がさらに溶けてしまったかと心配だった。でも、日時指定の方はもう頼んでしまった後だし、悪夢を見たくないので、そのことはもう考えないことにした。

Time flies. 時は飛んでいく。まさにその通り。誰もそれを止めることはできない。過ぎ去った10月、11月も、わたしにとってはほとんど同時の今(12月)であったのかもしれない。「手の習作」ビデオを編集中。制作中も、編集中も頭のどこかで記憶を辿っていた。40年くらい前にも、確かこうやって手を描く練習をしていたっけなあ・・・。筆を使う手が重なって見えるのは、視力のせいばかりでもなさそうだ。