原子力規制委員会判断とは別に考える

柏崎刈羽原子力発電所の再稼動に規制委員会が事実上のOKを出した。新潟県知事の米山氏は、規制委員会の結論とは別に、県は独自に検証するとコメントした。

「私たちの安全をきちんと考えて欲しい」と、規制委員会に丸投げ、完全依存する考え方が多い中で、この考え方は重要だ。

「安全・安心」がよくセットで語られる。しかし安全と安心は全く次元の違うものだ。「安全」には基準があり、その基準をクリアすれば「その基準に従う限り、安全と言える」という技術的な意味だし、「安心」は個々人の心の問題になる。業界、政界でこの意味の違いを知らずに使っている人などいない。わざと混同するように仕向けているのではないか、とさえ思われる。

よく読むと規制委員会は「安全だ」などとは一言も言っていない。(規制委員会自身が作った)基準に合格したと言っているだけである。その基準自体、自分たちが納得できるものなのかどうか、納得できたとしてもそれを安全、安心と判断するかどうかは、そこに住む人々の判断である。知事が規制委員会とは別に検証すると述べたのは、そういう意味で正しい。

けれど、きっと「国の『権威』がOKしたのになぜ直ぐに再稼動させないのか!」と、経済界を中心に喚き立てる輩がわんさと出てくるに違いない。その人たちはそこに住む人々を犠牲にしてでも、金さえ稼げればいいと思っている人たちだ。福島の事故検証さえまともにできていない現状を踏まえ、委員会判断に丸投げせず、自分たちの安心は自分たちで判断するという知事の態度を、(そういう圧力に負けず)貫いて欲しいものだ。そして、態度だけでなくきちんとした検証ができるだけの人材をあつめ、謙虚に、誠実に公表し、最終判断を県民自身にしてもらうことを望んでいる。

無題

無題

すごく疲れている感じだが、振り返ってみると仕事らしい仕事は何もしていない。坐っているだけのような感じ。眠れば良さそうなものだが、この好天がそれを妨げる。

痛みというものがこんなに疲れるとは思わなかった。1ヶ月半ものあいだ、坐っても寝ても痛いという経験はこれまでなかった。何年もこんな痛みを抱えたまま気力を失い、やがて亡くなっていく人はどんな気持ちで死んでいくのか、そこまではまだ解らないが、本人も家族もホッとした気持になるかも知れないとは、思う。

昨日の台風は日本各地で大きな被害をもたらした。そして台風一過のこの暑さ。頭の働かないのが、暑さのせいだか何だか、よく解らないんだなあ。

 

サーフィンの映像によく出てくる大波は、多く火山とそれによって作られた海岸地形、そこに吹き寄せる強い風との絶妙な組み合わせでできるものらしい。

モンスターウェーブで有名なポルトガルのナザレでは、大波の高さが時に30メートルを超える。高層アパート8〜10階建ての高さに相当する。そのエネルギーも凄い。地球上の波で人類が必要とするそれの10%以上を賄えるという試算もあるそうだ。

波には癒し効果もある。あの単純な繰り返しが人を落ち着かせる。まあ、海に行くだけ、海の青さに浸ると考えただけでも、既に癒され始めるのだから。