ニッポン、勝ったってよ

言わぬが「HANA」      水彩

サッカー、ワールドカップ。昨夜日本代表チームがコロンビア代表チームに勝った試合を見た。ゲームとしてはつまらない試合だった。

ワールドカップは、個々のチームを越えて選ばれた選手たちによる、世界最高峰の大会のひとつ。最高のプレーを観たいのが一番で、どちらのチームが勝つかは重要ではない。が、現実は逆で、報道も「『日本』が勝った」の一辺倒。それがもっとつまらない。

サッカーファンとサポーターはイコールではない。野球ファンと巨人ファンがイコールではないのと同じように。知人に巨人ファンがいた。巨人が負けた日は家族にも当たり散らし、自分以外の家族全員を野球嫌いにした。野球は「勝たなければ意味がない」。それが彼の野球観だった。

日大アメフト部の悪質な反則行為が問題になった。その深い原因は勝利至上主義にあると言われるが、その通りだと思う。なのに、サッカーは別なのか。そういえば「絵を描いたって、売れなければ意味がない」と私に向かって言った親類もいる。そのくせ「1枚くらい呉れ」。そっちの方が「意味わからん」。

「虐待」が無くならない

幼児虐待(死)のニュースが無くならない。心が痛む。生きた動物(特に猫)を火あぶりにしたり、それを動画でネット上にアップして楽しむ同好者たちがいるらしいことも最近知った。どういうことなんだろうか。

そんなものは「表現の自由」という言葉で守るべきものではない。ISがイラクで行なった残虐行為をネットやテレビで報道するのには「告発」という意味があり、不快な画像ではあるけれど、広い意味では世界の人々に利益をもたらすという大義がある。しかし、そこでもその残虐性だけを楽しむ人がいないとは言い切れない。

動物虐待動画の、ネット上へのアップを禁止する動きはある意味当然だが、作る人、愛好する人がいる以上、それはイタチごっこになる。人間社会がもたらす、ひとつの病気に違いない。そのような病気の原因が単純明瞭であるはずはなく、単純に禁止することは、病気の原因を知らないまま対症療法だけするようなものだし、複雑であるだけに必要な部分まで棄ててしまうことにもなりかねない。悩ましいことだ。

私たちが選んだ国

クレマチスと水差し

いま日本は年間30万人ずつ人口が減っているそうだ。週に6000人。人口6万人の小都市なら10週間、3ヶ月足らずで消えることになる。しかも減少の速度は増しつつある。これはもう戦争レベルの非常事態ではないか。

ニュースを聴くと(当然?)人手不足、らしい。なのに、働く人の時給は上がらず、正社員になる道は広がらず、老後の不安はどんどん増していく。外国人を「移民」ではなく、「実習生」として受け入れようとしている。選挙権など、国の方向を決めるような権利は与えず、生活保護など負担になりそうな時はサッサと追い出せるようにしておこうという、姑息で、人権軽視の姿勢が見え見えだ。それが私たちが選んだ政治家たちの考えだ。

税金の使途は自分たちファミリーの都合いいように改ざんされ、追求には記憶喪失と黒塗りで応え、税金を使っているくせに自分の手柄のように威張る。圧力が北朝鮮でなく国民に向き、年寄になったら金がかかるから早く死ねと顔に書いてあるというのに、政権の支持率は下がらない。これはもう宗教だと言うしかない。私たちはどうやら筋金入りの馬鹿であるらしい。

馬鹿なら馬鹿らしく、馬鹿なことをやって楽しんで死ぬのも良さそうなものだが、人と違うことをとことん怖れる臆病者でもある。美しい国、おもてなしの国とは、実はのっぺりと脳みそのシワもない、裏アリ表ナシの国なのだった。