8月15日は「敗戦記念日」。

「アスレチック・フィールド」2020 テンペラ F10

「敗戦記念日」と書けば、必ずクレームがあるらしい。それだけで「反日」というレッテルが貼られたりする昨今だ。「負け」という語にはそれだけのインパクトがある。日本人は(多分他の国も大同小異だと思うが)「負けず嫌い」という言葉が好きだ。

「ハルウララ」という競走馬をご存知だろうか?主に高知競馬場を舞台にしたが、戦績は113連敗(0勝)。生涯獲得賞金は112万9000円。一勝もできなかったが、連敗ゆえに、ある種のブームを巻き起こし、2016年にはアメリカ映画にもなったそうだ。連敗し続けてもなお、毎回必死に走る姿が「負けず嫌い」の心をくすぐったのだろう。

敗者になることによって、初めてその人の人格や思想が現れると、私は考えている。その意味で、人は誰でも負ける経験が必要だ。負けることを知らない人間を、私は信用することはできない。「負ける」ことで、初めて本当の「知恵」が人に現れるとも思う。立派な負け方、美しい負け方というものはある。単純な例が高校野球。勝者以上に「輝かしい」敗者の例は枚挙にいとまがない。

それに単純に比較することはできないが、先の対戦での日本の負け方はぶざまであった。それは物量以前に思想が貧しかったからだし、そのことを戦後の現在も理解しようとしないことがその、そのぶざまをさらに拡大し続けている。敗戦を「敗戦」とすることで、その全体像を記録し、きちんと正面から向き合わない限り、人間らしい、「意味のある負け方」を獲得することはいつまでもできないと思う。「負けず嫌い」も、その上にたってこそ、美しいのである。

コロナの4ヶ月

「 ダリア 」   水彩 f10

3月14日から始めた、ビデオ編集。やっと12回分が今日(7月15日)終わった。ぴったり4ヶ月かかったことになる。この間に、初体験のビデオ制作以来、18本のビデオをアップロードした。

4ヶ月間、毎日平均10時間ほど、パソコンに貼りついたまま過ごした気がする。ニュースもラジオで聴くだけ。おかげで必要以上に「コロナ頭」にならずに済んだのかもしれない。自粛警察が登場するなど、世の中がコロナ頭だけになるのではないか、コロナ・ウィルスよりそちらの方が怖い気がした(実は今も)。

ジョージ・オーウェルの「1984」の怖さをあらためて感じる。感染防止にかこつけて、行動履歴から自分が「濃厚接触者」であることを教えるアプリを政府が配っている。そもそも「接触」では細菌の場合と違い、感染の可能性が低いこと。可能性が高いのは飛沫吸入による感染だが、こちらはマスクでは100%無効であることは、学者たちのほぼ一致した見方だ。アベノマスクのウィルスからの防御能力も、もちろんゼロである。例え1%でも、などと非科学的な幻想は持たない方がよい。ただし、自らの飛沫放散を抑える効果はある程度あることも確からしいから、まるっきり無駄というわけではない。

武漢での発生確認から7ヶ月以上経って、これらのことを見聞、経験してきた。緊急事態宣言からはまる3ヶ月。感染は再び拡大してきたが、今度は経済界(って誰のこと?)の要請を受け、「GO toキャンペーン(全国的な旅行奨励策)」を前倒しで実施するという。頭が狂っているとしか思えない。こういう政策を立案したり、応援する人々の頭には、逆に、コロナウィルスを注入してやる方が、よい薬になるのではないだろうか。

オンライン授業体験

Apple in apples  2020 oil on canvas

コロナ禍によって初めて体験したものはいくつもあり、どれも貴重なものだが、「オンライン授業体験」もそのひとつ。受ける側ではなく、する側として。

はじめは、「大変だ、どうしよう」という、個人的な、技術的な問題が主だった。デモ制作を考え、撮影し、文字入れ、ナレーションを構成、動画を編集して一本のビデオを作り、学生に配信する。学生からの質問等に応答する。最初の1回分(23分)の授業ビデオを作るのにも、まるまる3週間かかった。そもそも動画編集をしたことがなかったし、パソコンにプリインストールされているソフト以外に選択肢は無かったから、それは必ずしも私の不名誉でもないと思う。その後はだんだん慣れてきて、なんとか8回分くらいまでは準備できた。

ところが、非常事態宣言が、首都圏でも5/25を境にどうやら解除されそうな雲行きだ。解除されると、オンライン授業から従来の「対面授業」に戻る、だろう。でも、せっかくビデオの準備したのに〜、などとは思わない。やっぱり学生の顔を見ながらやった方が楽しいし、ビデオの準備をする過程でも、得たものは少なくなかったから。

解除について心配なことがある。せっかくオンラインでの(一部)授業が、可能なだけでなく寧ろ有効だということが、サッと忘れ去られるのではないかということ。オンラインでの(一部)会社経営が成り立つこと、出勤しない方が効率よく仕事できること等に、会社員自身が気づいたこと。それが「解除」によって以前の状態に戻る。そちらの方がむしろ問題ではないか?なんとなく、すべての文化的尺度で世界上位にいると錯覚していた日本人が、実はオンラインという視点では「先進国中ではずっと下だ」、という事実を「見なかったことに」してしまうこと。それらが心配だ。(感染症対策、重傷者の医療体制はまた別の次元の問題として)「オンライン」に関しては、もうオールド・エコノミストたちと同じ地面にいつまでも立つ意味はないのではないか、と考えさせてくれた私の「オンライン体験」です。