きれいで、気持ちのいい絵って、ダメなんですか?

「Apple のある風景」  2019

「きれいで、気持ちの良い絵って、悪い絵なんですか?」と時々聞かれる。もちろん、そんなことはない。質問者は絵を描いている人。自分できれいだなと思うものを、気持ちよく描くと、先生や仲間に、そんなの面白くないと言われることに、時々疑問を感じつつ描いている。ある日とうとう聞いてみた。

そんな人はきっとたくさんいるはず。結論はすでに述べた「そんなことはない」。それなら「そんなの面白くない」という人が間違っているのかといえば、そんなこともない。それは、描く側か見る側かの「立場」によって見方が変わる、ということに関わる問題でもありそうだ。

「創作する」というのは、簡単にいえば「新しいこと(もの)を作り出すこと」。ふつう絵を描く場合、誰かのコピーをしているのでない限り、自分の見たもの、感じたものをとりあえず真っ白のキャンバスに、自分勝手に描く(たとえ出来が不満足でも)。一方「鑑賞」とはまず「観る」ということだが、嫌いな絵はとばしても、好きな絵はゆっくり心ゆくまで楽しむ。それが基本的な鑑賞の態度だ。そこでは「新しさ」や「自分勝手」など探し出す必要もない。ただ好き好きに従って味わえばそれでよい。

そこで、最初の質問はこう言い換えられるかも知れない。「きれいで、気持ちのいい絵を見ました。私もあんなふうに描きたいのですが、それではだめなんでしょうか?」。今度はこう答えよう。「だめです。それでは創作になりません」。気持ちの良し悪しではなく、「そんな風に」がダメなのである。少なくとも「自分流」でなくてはダメなのである(実際はとても難しいことだが)。厳しいといえば厳しい。でも助け舟。自分流を押し通せば、きっと楽チンで気持ちいい。矛盾することではないのだ、たぶん。

チャドクガ(茶毒蛾)退治は冬のうち

「Seed(種)」2019 F10 tempera on canvas

1月5日。どうしても気にかかって仕方なかった、チャドクガの卵探しに再々チャレンジ。昨年の大食害からかろうじて残った2本の椿とサザンカの葉裏から、とうとう見つけた!それも15個も。一つの卵塊から平均100匹ほど幼虫に孵化するというから、1500匹近くを事前に退治したことになる。大戦果。

アメリカのトランプ氏がイランの現役将軍を暗殺したのとは意味が違う。彼はスズメバチの巣を叩く、そのあとのことまで考えないただのわんぱく小僧だ。スズメバチを、単に人間を刺す悪い奴だ、という思い込みしかないガキ。でも、それを「ゼッタイ応援するよーっ」なんて、ゴルフクラブを掲げてバンザイするバカが、何人もいるから困ったもの。こういう輩は地球上からスズメバチや、(チャドクガが発生しないように)椿の仲間の木を根こそぎ絶滅させれば解決だと考えるような野蛮人だと言って良い。

話を戻す。チャドクガの卵はネットで検索すると出てくる写真のまんま。ただ、実際に見ると意外に小さく(直径7、8ミリ〜1センチほど)、つい見過ごしてしまう。この枝、この葉はもう何度も見た思っても、さらになお数回見返してやっと見つける、という感じ。ウコン色の卵塊を見つけても、間違っても素手で触ったりしてはいけない。毒毛針でしっかり覆われているから。

チャドクガの卵は簡単に見つかりません。けれど、1個見つけると2個目、3個目は少しだけ慣れて、見つけやすくなる。考えてみれば、チャドクガだって生物淘汰の歴史を生き残ってきた一種の「猛者」。種の存続には最も重要な卵を、簡単に見つけられ、抹殺されない方法を編み出してきたからこそ現代まで生き残ってきたはず。「種の保存」という大事業の陰には、実に様々な仕掛けが隠されているということを学ぶ貴重な時間にもなった。

1月2日

「Apple(未完)」F10 テンペラ 2020・1・1開始

今年は暮れからずいぶんお酒を飲んだ。最近はだいぶ控えめにしていたし、毎日飲みたいとも思わなかったが、体調も良くなってきたのか、暮れの1週間ほどは毎日昼間から飲んだ。1日でワイン一本(720cc)を空にすることもあった。暮れの3日間は缶ビール(350cc)を1日で4〜5本。年が明けたら、なんだかビールが飽きてきた。

11月中頃から今日まで、睡眠薬を飲まずに過ごせている。そうそう、薬と酒とどちらがより体に悪いかなど考えていたのだった。そんなこと考えること自体、頭がおかしくなっている証拠。でも、なんとなくだが薬を飲まない方が、日中のぼんやり感はなくなっているような気がする。薬を飲まずに済むならもう少し続けてみよう。

教室がないので、毎日5〜8時間ほど描いている。ほとんど小品での試作。技法のこと、素材のことや手順など、1点1点あれこれ課題を考えながら描く。そして、それがこれまでの制作とこれからの制作の間にどう関わるかを考える。

それ以外の時間も案外忙しい。でも仕事ではないから、趣味のようなもの(ほんとは仕事しなくちゃいけない)。趣味といえば今は俳句。下手の横好きと言えるほど好きでもないから、締め切りの前日に作る「ねつ造俳句」。あるいは「へそ曲り俳句」。今年は目標を3つ掲げた(心の中だけ)が、まだ2日だというのに、もう達成できない予感が。

正月や諭吉は貧血一葉も    生活感滲み出ていますね。