動画を作ってみた

「 バタフライ 1」

コロナ禍で気が滅入る。時々自転車に乗り、マスクして一人で権現堂の桜をぐるっと一回り見に行ったりするが(今年の桜は静けさも加味され、とても美しく感じる)、スケッチする気にもならずそのまま帰ってくる。運動を兼ねているから、少し汗ばむまでただぐるぐると走り回る。アホみたい。

教室はとりあえず全部休みにしたので、少なくとも1ヶ月半まるまる空いてしまった。制作と研究(といっても、あれこれ思いついては描き、とりあえずかたちにして、どこがよくてどこが悪いか、どうすればさらに良くなるか考えるだけだが)は時間があるから、普段よりちょっとは進む。けれどそれはもう何十年ものルーティンの延長でしかない。それより、これまでできなかったことをプラスすることで、なんとかコロナの仇を討ちたいと考えていた。

その一つが動画を作ること。もっともポピュラーな、写真(または動画撮影)を動画に編集することも考えたが、まずはパラパラ漫画を描いてみたかった。思えば小学生の頃ディズニーの動画に憧れ、授業中にノートや教科書の端っこに動きを分解した絵を描いては、パラパラとめくって一人で楽しんでいた。それをみんなに見せたいと強く思っていたが、夢は夢のままだった。単純な動画だが、それがこの年になってやっとできた。ちょっと嬉しい(実はかなり)。コロナめ、いまに見ていろ。

パラパラ漫画の描き方は小学生の頃すでにマスターしていたが、実際にデータとして画像化するにはパソコンにもっと慣れる必要があり、実はそれがとても億劫だった。ペン・タブレットを買った時からそのうち描こうと思ってはいたが、実現するのに10年も足踏みしてしまった。いかに怠け者か我ながら呆れるが、作ってみるともう少し頑張りたいと素直に思う。

「人権」について考える4月

「 Apple-3 colors」 2020 oil on canvas

コロナウィルスによる「緊急事態宣言」が明日(4/7)発令される模様(「緊急」なのに「明日」ということで、まさに「(不要)不急」なのだと巷では笑っているが)。期間は5月7日頃までになるらしい。範囲は、東京・埼玉・千葉・神奈川・大阪・神戸・福岡の7都県。問題はたくさんあるが、ともかくこれが「日本のやり方」だなあ、と思う。なりふり構わず、来年のオリンピックの前に格好をつけたい、ということしか眼中にないと見る。

4/6正午現在で、日本国内の COVID-19 感染者数3,654、死亡73。少し話の角度は違うが、2019年度の自殺者数は初めて2万人を切り、19,959人(速報値)となった。2019年度の交通事故死は3,215人。自殺者は現在でもG7の国の中ではトップで、少し前なら年間3万人越えていたという、異常な「生きにくい」国だということが分かる。交通事故死も年々大幅に減ってきて、なおこの数字である。かつてはこの10倍近くもあり、「車が多くなったから」的な、受動的な視点が普通だった。

例年のインフルエンザでも世界全体では数百万人が罹患し、ほぼ確実に数万人、関連の死者が出る。今回のコロナ禍では(特に高齢者は)急速に重篤化するということと、医療関係者に死者が多いという点でいっそう大々的な報道になっている。しかし、医療関係者に被害が大きいということの中身をよく見ると、その半分は過重労働が誘因で、過重労働の要因は各国とも財政上の理由で、医療関係者の数やベッド数などを制度として激減させた結果であるとも指摘されている。要は政治による「人災」の側面もあるのだが、今はすべてが感傷と感情の勢いに流されるまま。

毎年およそ2万人の人々を自殺に追い込む「私たちの」社会。そこには何の疑問も感じないのに、(現在)100人以下の死者数しかない(しかない、という言い方に反発する気持は解るが)コロナになぜこれほど大騒ぎするのか、ということをもう少し冷静に考えるべきではないだろうか。多くの自殺者は、世の経済などになんらの傷跡も残さず、ひっそりと片隅で死んでいく。それに対して、コロナでは直接自分自身に経済的な打撃が降りかかってくる(特に「経済界」と呼ばれる世界の住人には)。「緊急事態宣言」の意味も、感染やそれによる死のことより、本当はカネのコトなのだろう?と思う。

文化のねじが壊れている

「 Apple 3 colored 」 2020 tempera

オランダの小さな美術館が、借りていたゴッホの絵を盗まれた、というニュース。コロナ禍のため、政府の要請により臨時休館中だったらしい。

「こんな時に」と憤るより、私はこの窃盗犯に拍手を送りたい気分だ。コロナで気が滅入っているこんな時期に、せめて美術館を開館して気持ちを癒す方向に工夫を凝らすのではなく、単純に休館するという発想自体にも一矢を報いている気がする。大規模イベントはほぼ全て自粛なのに、オリンピックだけは来年の開催日も決まったという大きな矛盾。アスリートのためなどと言っているが、本音はオリンピックにかけたお金の回収と、それを起爆剤に商売に弾みをつけたい経済界からの強い要請が最優先なのは誰でも知っている。そういうときに、盗んだ絵をたった一人で、ワクワクしながら間近に覗き込んでいる姿を想像すると、犯人の方がずっと高尚な人間のような気がしてくる。

フリーランスの音楽家・演奏家、舞台俳優など、さらに各種カルチャー教室のインストラクターなどが、ライブやイベントのキャンセル等で生活が成り立たなくなっている。文化国家としてこんな状況をほっといていいのか、という議論が起こっている。従来の失業対策の間口を広げてこれに対応したい、という生返事が行政からある。けれど実態は「フリーランス」という言葉の意味さえよく解っていない。「ライブ」という語には「感染源」という訳語しか、彼らには当てはまらないらしい。有名人しか知らない彼らに、その有名人がどんな道を辿ってそこまで到達したのかを、想像する能力は完全に欠けているらしい。

フリーランスで働く人々の、一時的な生活困窮のバックアップに失業対策費を援用するというのに、その間は「ハローワークなどへ通い、できるだけ仕事を見つけなさい。これはそこまでの援助です」という趣旨の説明だ。馬鹿か、としか言いようがない。「これで生活を安定させ、良い時期になるまで一生懸命作曲や練習に励みなさい」というのが趣旨ではないか?どこかに勤めなさい?練習は?画家が個展を1週間やって、売り上げが100万円あるとする。1週間で100万円なら、年間55週間あるから5000万円くらい稼げるでしょうと、平然と言う。いつ絵を描くと思っているのだろうか。想像力のかけらもない。絵を盗むのはもちろん良くない。けれど、こんな馬鹿と話すよりは、犯人との方がきっと深い話ができるはずだ。