市田柿

      「市田柿」  水彩

人から頂いて、久しぶりに干し柿を食べた。しょっちゅうスーパーなどへ買い物へ行く人なら目につくかもしれないが、家にばかりいると、干し柿という発想自体が記憶の奥の方に沈んでしまい、なにかのきっかけがない限り表層へ浮かんでこない。

市田柿は長野県の旧市田村(現在の高森町)で盛んに生産されたのでこの名がある、と解説にある。高森町へは何度か行ったことがあり、この一帯の干し柿が有名だと聞いたが、そこで見たり食べたりした記憶はない。紡錘形の、小ぶりだがもっちりした種類の柿。さすが歴史を越えてきただけあって、しっかりした歯応えのある、深い味の美味い干し柿だ。見た目もとても美しい。

描いてみると、そのデリケートさが予想通りの難しさ。ヘタも小さく切り取ってあるので、目立つポイントも少なく、ごまかしが利かない。「実力勝負」を挑まれた、という感じのスケッチで、完敗である。

描き初め

昨夜の雪が残っていた
「ふるさとの川(試作2)」描き初めになった。まだ、色が現実に引きずられ過ぎだ

昨夜、みぞれから雪になった。夜には上がったらしく、1~2センチだけ積もったが、気温が―2度だったので、朝には凍っていた。

「描き初め」をした。若い時は100号くらいでスタートしたものだったが、今は4号でスタートだ。自分は今何をやっているんだろう、と目が覚めると身体が熱くなり、眠れなくなった。

今年は新しいことを一つは身につけなくちゃいけない。願望ではなく、ほぼ義務に近い。サボり癖のある自分自身を騙して、行かなくちゃいけない。

明けましておめでとうございます

散歩道から見る富士山。右には赤城、日光。振り向けば筑波山がどっかり見える
元旦。微妙な雲の出具合

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

最近、気が向けばぶらぶらと、近くの田んぼ道などをひと回りしてくることがある。元日の朝はどうだろうと、行ってみたら、ぽつぽつとウォーキングの人たちがいる。顔も名前も知らないが、何人かは身体が傾いていたり、歩き方に特徴があったりで、あの人だなと分かることもある。ひとり、そばに軽トラを停めて農作業をしている人もいた。世間の慣習に流されない、マイペースの人なんだな、きっと。

散歩の時間は「考える時間」。考えが堂々巡りすることが多いけれど、堂々巡りしているうちに、ポロっと木の実が落ちるように、上からアイデアが降ってくることがある。

今はそんなのを悠長に待っている時代じゃない。AIに「アイデアを呉れ」と要求する時代だ、という。考えるより先に結果を求めるということか。AIの進化は、たぶんもう誰にも止められない。人間はどんどん不要な存在になっていきそうだ。明るいのか、暗いのか、微妙な雲が前方にかかっている。