コンピューターはウソをつく

コンピューターによる切り抜き

むかし「インディアン嘘つかない」という、お菓子か何かのコマーシャルがあったのを覚えている。それが「○○噓つかない」と、今でいう流行語になったような記憶もある。

「コンピューター噓つかない」は流行語ではなく、常識「だった」。コンピューターは間違わない。「コンピューターの間違いにより」というお詫びの文言は、「(人間の)入力ミスにより」だと技術者たちから必ず不平が出たものだった。能力の多寡はあれど、コンピューターの正確さと早さには絶対の信頼が「あった」。

「だった」「あった」と過去形になったのは、コンピューターが嘘を平気で吐けるようになったから。少し前「チャットGPT」について書いた。その能力の高さを、今度は「嘘をつく」ことであらためて証明して見せたらしい(ニュースの文脈では、そのことを能力がまだ低いことの例として紹介していたが)。(人に合わせて?)「適当にごまかす能力」と言い換えてもよい。あるいは、コンピューターが自らデータを「意図的に選択したり、隠したり」という能力を身につけつつある、と言い換えたらどうだろう。

いかに博識の人でも、人間の知識には限界や偏りがあるのが普通。質問するのは当然自分のよく知らないことだから、適当な知識を織り交ぜて、納得いくような説明をされれば、それが嘘か事実かを見抜くのは簡単なことではない。しかも、誤りを指摘されると「手抜き?」を謝るというのだから恐ろしい。人工知能の研究は全世界的に猛スピードで開発競争がなされているようだが、開けてはならない「パンドラの箱」をすでに開けてしまったのかもしれない。コンピューターが人間を排除する、SFの世界が現実のものになった、これが最初の証拠でなければいいのだが。

賭け

鳥の置物 (フェルトペン、鉛筆、水彩)

お金を賭けるだけでなく、「人生を賭ける」「命を賭ける」という極端な経験をする人はどのくらいいるだろうか。1%か、もっと少なく0.001%くらいかと思ったが、よくよく考えてみるとほぼ100%の人が、実は経験するのではなかろうか、と思い至った。

たとえば結婚。ある程度納得のいく情報交換、プロセスを経て結婚に至るとしても、「他人は他人」。相手について知り得たことより、知らないことの方がはるかに多いはずであるが、どこかで「えいやっ」と決断する。そして、基本的には一生を共にするのだから、まさに「人生を賭ける」といっても決して過言ではない。特に地方にあって、長男である夫の家に嫁ぐ(“とつぐ”という言葉自体がその内容を示しているが)女性においては「清水の舞台から飛び降りる」以上の決断だと思う。わたしのようなヘナヘナ人間には、その決断力だけでも驚嘆に値する。

朝起きて、ご飯を作り、食べ、会社や学校へ行く。帰宅帰りにスーパーで買い物をして晩ごはんを作り、食べ、洗い物をする。明日のためには、もう風呂に入って寝るしかない。そんな“日常”さえ突然断ち切られたりすることがあるのは、ニュースなど聞かずともそこら中に満ちあふれている。「それは特別な場合でしょう?」と思う人が多いのは、それだけ「人間」に「文化」がある証拠なので嬉しいことではあるが、(人間以外の)動物ではそうはいかない。子育て中の母親が、エサを探しに行く途中で他の動物のエサにされてしまうことは「自然の一部」。それが「日常」なのだから、少なくとも(人間以外の)動物においては「毎日が命がけ」は現実そのものに違いない。

けれど、動物にとっての「命がけ」は「賭け」ではない。いかに命がけであろうと、それは「日常」である。「賭け」には、それを「賭ける」意識が必要だ。失敗したら何かを失うが、その何かと賭けるものとの「差額」のような意識がなければ、それは賭けではない。つまり「リスクの意識」の有無である。リスクと利益の計算を、一定の根拠に基づいて行動に移すこと。それが「賭け」だとしたら、人間なら、生まれてこのかた、ずっと賭け人生だと言ってよいのではないか。違いがあるのは根拠の確かさと失敗したときの覚悟だけ。もしかしたら、その覚悟の有無だけを人は賭けと呼んでいるのかもしれないが。

「焼き鮎を描いてみる」をアップしました

一昨日この欄に書いた「焼き鮎」のビデオをYouTubeにアップしました。最近、チャンネルの視聴回数が激減中。1月末から2月に入ってどんどん加速し、1ヶ月の間に10分の1になってしまった。理由はよくわからないが、投稿頻度が影響しているのかもしれない。

その直前まで、これもなぜかは分からないが視聴回数が毎日増えていたので、急上昇急降下という激変ぶり。その原因として候補に上がるのは「投稿頻度」。多くのYouTuber たちが口をそろえて言うのは「最低でも1週間に1本をアップ」。「そうしないと激減する」、を身をもって味わっているところなのかも知れない。

ビデオの内容を少しでも良くしようとすると、長くなり、かつ時間がかかる。一方、ビデオは長くすれば「楽になる」。1時間の録画を50分にまとめるなら、ほとんど編集しなくて済むが、それを5分にするとなると、切り捨てる部分の選択にとんでもない時間を遣うことになる。切り捨てた部分を何らかの形で補う必要も出てきて、新たな写真や構成が必要になったりする。そうやって短くしつつ、内容をさらに濃くしようとすると、(わたしの今の能力では)到底1週間では終われない。そんな風に、内容を整理、濃密にしようとしたせいで(そればかりでもないが)3週間以上アップできなかった。その前も2週間以上かかった。思いつく理由と言えばそんなところ。内容が視聴者のニーズに合ってないのかもしれないが、それは自分では分からない。

というわけで、今度はなんとか頑張って、1週間以内に作ってみた。録画時間は約1時間25分。それを10分46秒にまとめた。あと何本か、1週間に1本を目標に努力してみよう。頻度だけが激減の原因かどうかは分からないが、とりあえず一つのファクターの様子を見ることはできるかもしれない。