ときどき、詩人

キャンバスからCGスケッチ

ときどき詩人になるのがいい、と思う。世の中動くのが、少しどころでなく早すぎる。自分の周りを、壊れた走馬灯のようにグルグル早回しで回っている感じがしてならない。眼を閉じるか、あるいは目の前の小さなものだけをぼんやり眺める、そんな時間が必要ではないかと思う。いや、そうしないと、実は自分が死んでしまっていることにさえ気づかないまま死んでいるかも知れません。

「時々詩人になるのがいい」というのは、もちろん、詩人がのんびりして暇そうだという意味ではありません。単にのんびりリラックスすればいい、というわけでもありません。「詩人」はもちろん比喩ですが、画家でも音楽家でも、運動家(スポーツ)でも、何でもいいというわけではありません。やはり「詩人」がいいのです。

詩人は自分の感覚や周囲のことがらを言葉に置き換えていきます。”言葉に置き換える” ということが重要です。わたしたちは言葉で自分の考えをまとめあげているからです(そういう意味では数学者(科学者)でもいいかも知れませんが、わたし自身が想像できる範囲を超えています)。

あくまで比喩ですから、実際に詩を書く必要はないのですが、ほぼ詩を書くような気持にならなくてはなりません。それが難しいのは確かですが、それが出来なければ「走馬灯ぐるぐる」をずっと見ているしかありません。「詩人」は唯一そこからの脱出口なのですから。
 でも、なぜ詩人?とあらためていうと、なぜ脱出するのか、その結果どういう意味があるのか(あったのか)、詩と走馬灯の関係などを、言葉にして記憶しておく必要性、詩を作らなければならないからです・・分かったような解らないような。疲れていますね。

ビデオ作りの意義?

2023.09.07 17:30 アップしました。ご覧ください

しばらく、テンペラ画の制作に時間をかけていたことや、その他の理由でYouTubeへの投稿が10日ぶりになってしまいました。ふだん、教室でやっていることをビデオにしているだけですが、教室ではどうしても細切れになってしまいがちです。ビデオにすると、教室での内容とつながってくるように感じます。

ビデオを作ることで、自分でもあらためて気づくことが少なくありません。たとえばナレーションをいれるとき、専門的な単語や、こなれていない言い回し、間違ってはいなくても聞き取りにくい言葉などは、言いかえたり、説明を添えたりする必要が出てきます。ふだんの会話だけだと、気づかずに通り過ぎてしまいそうなことです。

映像ももちろん同じです。自分ができることは、つい簡単に感じてしまうので、ビデオでもサラッと流してしまいがちです。視聴者の方がそれを見て真似しようとすると、なぜこうなるの?これは何のためやっているの?という場面がたぶんザクザク出てきます。そんな疑問だらけのビデオでは見てもらえません。必要な手順と内容を、無駄なくきちんと押さえながら、しかもダラダラした繰り返しを避け、飽きないうちに見終える工夫もしなくてはなりません。そういったことを体験し、実際の教室の時に活かしたいと思っています。

たいていビデオ内では1枚の絵を描きますが、説明手順が曖昧な時は2~3枚描いてみることがあります。そうすると、ポイントが解ってきて説明しやすくなります。ただ、視聴者は絵を描いている人とは限りません。むしろ描いている人の方が少ない、と考えて作らなければならないようなのです。
 説明不足もいけませんが、説明しすぎるのも良くないのです。一番いいのは、「自分もやってみたい」と思えるような「楽しい動画」です。描くのが楽しければ、絵など勝手に上達していくものですから。でもそれが難しい。現状ではビデオ作るだけで必死、楽しい要素を盛り込む余裕などまったくなし。もともと融通の利かない頭の固さが原因であるにしても、もうちょっとなんとかならないものか・・と毎回思うばかりです。

お元気ですか?

「Appleーたそがれ」テンペラ、F100 仕上げ中

9月に入り、長期予報を見ると今週はちょっと雨模様。最高気温はちょっと低くなりますが、依然として熱帯夜に近い夜の気温が続きます。夏の疲れが出て、それに雨の湿気が重なって食中毒が多くなるのはこれから。皆さん、注意しましょう。

ときどき進行中の写真を載せてきたこの作品もいよいよ仕上げです。「夏休みの宿題」という感覚で描いていました。描くことは楽しいけれど、締め切り(8月末)がちょっと苦しい。子どもの頃の夏休みの絵も、そんな感じでした。締め切りがないと、なかなか仕上がらないものですよね。

とりあえず、「危険な暑さ」から「厳しい残暑」に軟化?しそうですから、元気に皆さんとお会いできることを楽しみにしているところです。