晨春会展を終えて

歩く男 F6 水彩  2010

前回のブログから10日。会期中に一度書いてはみたが、まとめきれず公開は出来なかった。7月31日晨春会展が無事?終了。大震災があったからなのか、今年はいつもと違う感じが会期中もずっと続いていた。特に目につく変化は無くても、たぶん何かが変わったに違いない。

一つは心の変化。震災は心災でもあった。自分は何をやっているのだ、という情けなさと口惜しさの混じったような気持がずっと続いている。が、それは震災に関わらずもっと以前からだったような気もする。他には自分のやるべきことに選択肢など無いということ。迷っている時間など無いということはよくわかった。よくわかったが、で、今何をと考えると何も無いという絶望的な気分になる。それが会期中ずっと続いていたことの中身だったのだろうか?そうだとしたら、展覧会は自分には何も無いということを確認するだけのために在るようなものではないか。

7月の1ヶ月間毎日お酒を飲んでいた。こんなに毎日飲むのは最近では珍しい。ビール、ワイン、日本酒、焼酎とさまざまなアルコールを、あるときは大量に、あるときはほんの少し、ある時は楽しく、あるときはまるでそれが仇でもあるかのように。そのせいか、1週間ばかりの間、夜になるとふくらはぎから下がパンパンに浮腫んでしまった。指の周りも豚足のように丸々している。指先に力を入れると浮腫みが白く浮かび上がり、血の色が全く無くなった。脚を上げたり、動いたりするようにしたら浮腫まなくはなったが、夜の酒は止めなかった。飲みたいというより飲まなくては、というような気持だった。

8月になったら、急に飲もうという気が薄くなった。展覧会が終わったことと関係があるのかどうか分からない。単に飲み過ぎて飽きてしまっただけなのかもしれないが。晨春会展を終えた時、昨年なら「次作はこうしよう」と思い描いていた。今年は何も考えていない。ただ、目の前にある小さな描きかけを、早く目の前から消してしまいたいと思っているだけ。

 

 

Sさんが亡くなった

少年と犬 F50 テンペラ 1998

Sさんが昨日亡くなった。長い闘病の末だった。元気だった当時のSさんのメインテーマは「犬」。このブログはできるだけ新作を載せながら書くようにしているが、そのようなわけで今回十年以上前の(私のだが)作品を載せることにした。ささやかだが追悼の意を表したい。

Sさんとは大学の公開講座・水彩クラスで初めて知り合った。私とは講師と受講生の関係である。私が講師であったが、教わったのは私の方がはるかに多かったような気がする。彼女の方が年上で人生経験が若干上というだけではなく、それ以上に絵に対する情熱が私よりはるかに凄かったからだ。その情熱は同じクラスのすべての人に留まらず、絵が好きだという人すべてに共感するというような、ある種、凄まじさのようなものが感じられた。当時彼女の影響を受けた人は多い。私もどことなくその情熱に感動し、どこか高揚したような、アドバイスなのか、アジテーションなのか、宣言なのか分からないことを口走っていたような記憶がある。

県展では入選の常連。なぜなら誰にも出来ない技法を編み出していたから、どの審査委員もそのことに一目置いていたからだ。「ああいう絵は絶対に落としてはいけない絵だよな」と、私の受講生とは知らず、私に語った審査員がいる。殆ど毎年賞候補だったが、賞にならないうちに病気になり、出品できなくなった(そのことに私も若干の忸怩たる思いがある。)。

彼女の(今は形見になってしまったが)頑張りを示す、失敗作の断片を頂いてある。その断片を見るだけで、彼女の(努力だろうが、そうは言いたくない)情熱の一片を感じることができる。おそらく、「世界の」水彩史上類例のない技法であることは間違いない。もしも私に、美術界で発言出来る日が来たら、必ず語るべきエピソードであると思っている。

たった一つだけ彼女の小さな勲章がある。埼玉県文展というのがあった(今は無い)。最高賞は労働大臣賞で埼玉県知事賞の上、それを受けたことだ。授賞式前のNHKなど報道機関のインタビューを受けている時、彼女は記念に私と一緒に写真に収まりたいと言った。私は私の指導など無関係に、受賞は彼女一人の努力の結実だと思い、それを汚すまいとして一緒に写真に収まるのを断った。それに、そんな賞など単なる「初めの一歩」に過ぎない、凄いのはこれからだぞ、という指導者としての内心の傲慢さがあった。それが彼女が病気になってから一番の後悔である。私に謙虚な心が無かった辛いエピソードだ。心からご冥福を祈ります。2011/7/21

思い出すこと

 

神田ニコライ堂 水彩 2010-12

テンペラをやり直しながら、ふと思い出した。かの油彩画の巨匠ルーベンスは白亜地(ジンクホワイトを膠で塗った下地。吸水性がある)に、初めは卵メディウムとグラッシで、つまり殆どテンペラの混合技法で下描きを施し、その上を油彩で仕上げたということ。ルーベンスの絵は同時代の他の画家より、たとえば黒にしても一段深く、他の画家の黒が灰色に見えるほど引き締まっている。その違いはどうもこの卵メディウムと透明な油の層(これをグラッシという)、水と油の使い分けに秘密が在りそうだということだった。

水彩のような感覚的な画材と違い、油彩は一種化学的、実証的な側面がずっと大きい。画材の性質をよく呑み込んで使えば、狙い通りの効果になることを証明しているのがルーベンスだ。けれど、一方ではそれに反するような使い方が、結果的に成功の鍵となっている絵も少なくない。気合いで成功させてしまう絵と言えばいいのだろうか。気合だけではまともな絵は描けないと思う。が、気合いが無いと絵が生きてこないというのも確かではないか?20年以上前も、そんなことを考えていたのを思い出した。

強大な台風6号(久々に元気な台風だ)の影響の雨が朝から断続的に降っていたが今は止み、涼しい風が入ってきた(埼玉県にも土砂災害の警報が出始めた)。明日は台風が来そうだ。  2011/7/20 1:15am