井の中の蛙 / Frog’s in the small pond

展覧会は今日で最終日。疲れもピーク。終了したら作品と一緒に車に乗って帰ってきたいところだが、なかなかそうもいかない。

今回の作品を、もう少し前へ進められそうなアイデアを一つ思いつき、数点の習作を始めた。アイデアは一つの手法に過ぎないが、ゴールのイメージがある以上、まずはそこに辿り着くのが大切だ。そこからしか、その先が見えない、峠道のようなものだから。

20年前は麓の小さな池で、それなりに満足していたらしい、小さな蛙。何を考えたか、池から出て広い世界へ飛び出した。しかも道を間違えたか、どうやら山へ向かっているらしい。山の向こうはともかくも、途中で鳥に食われないように、餌の虫も水も無く、干からびたミイラにならないことを祈ります。

 

展覧会で思うこと

11月6日から、銀座8丁目ギャラリー「風」でグループ展をしている。写真は出品作。他に小品2点。

展覧会をしたり、人の展覧会に行っていつも思うのは「この展覧会に、果たしてどんな意味があるのだろう」ということだ。作家個々がそのことをあまり深く考えていないことに、毎回呆然とする。やりさえすれば、描いてさえいれば作家だと思う人、或いは宣伝と割り切っている人もいる。

作品自体についてはよく考え、それなりに努力していることは分かる。でも、表現技術に終始し、表現という大きなものの中で、自分のありよう、表現のもう少し深い意味と広がりについては、どこかの本を読んだ程度の上っ面だけしか考えていないように見える。そんなこと考えていたら制作できないよ、という声が聞こえるが。

細胞トレ / Cell training

絵を描くということは、私たちがふつう考えているよりずっと身体運動なのかも知れない。ヒトは立っているだけで全身の200以上の筋肉のバランスを取っているらしい。

絵を描くのだから、筋肉だけでなく目、脳も使う。脳を使うということは脳細胞を活性化するということだから、その分血液も多く流す必要がある。心臓にも自然そういう指令がとこからか出ているだろうし、血流量を差配する交通整理のような役目も身体のどこかでやってくれているに違いない。

エキサイトして鼻の穴も少しは広がっているかもしれない。足は手を自由にさせるために、かえって普段より踏ん張っているかもしれない。耳は?あまり働かないよう、縮こまっているのかも。一区切りつくまで腸も空腹を訴えるのを我慢していたり。その分肝臓が栄養分を配給…etc。全身運動という他ない。見る方にもほぼ同じことが言えるはず。筋トレというより、細胞トレーニングではないか。