体験が大事 / Experience is first

立派な氷。赤はシクラメンの花びら

全国をすっぽり覆う寒波が続いている。今回の寒波はこれまでとはレベルが一段違う。関東では21日に降った雪の量が記録的なものだっただけでなく、雪質も(関東の)スキー場並みのものだった。降っている時、これはちょっとすごいぞと、感じていた。

その上、続く寒波で、連日の晴天にもかかわらず、日陰ではその雪が硬く固まるばかりで、一向に融けてしまわない。大雪からまる一週間経った今日、外の水道は蛇口付近を熱湯で暖めてもまだ一滴も水が出ない。その下に置いてあったバケツの氷(写真)、測ってみると厚さが17cmに近い。埼玉移住36年、自宅でこんな厚い氷は見たことがない。

地球温暖化。この一世紀だけのデータからはそんな気持ちにもなるが、地球の歴史全体を身体全部に置き換えたなら、まだまつげの先端を見ている程度に過ぎない。科学は素晴らしい成果を示していて、今後もそれ以外に信じるに足るものはないだろうけれど、それでもまだ発展途上。人類が通過した「経験」を部分的に確認している段階だ。

命の危険、災害の予感。それはまだ科学ではないが、人類の(動物の?)直感としてDNAとして刻み込まれている(筈だ)。まずはそれを大事にする。そしてその僅かな経験を大事に積み重ねる。固執するのではなく、少しだけ優先する。

 

 

冬が来れば思い出す

オジロワシ舞う

「夏が来れば思い出す」ではないが、冬が来れば思い出すことも少なくない。

雪上に点々と続く動物や鳥の足跡。空から激突するようにドスンと体をぶつけて着地する雉(キジ)の丸い胴体のあと。ドタドタした駆け足(滑走)、飛び立ちの瞬間、やっと浮いた体重の下を微かに羽根の先が雪を掻いた痕跡。

立ち止まり、何か考えるように小さく回り、また歩き出す一本の点線。脚を踏み出すたびに、深い雪をほんの少し引っかける。それが転がって微かな線を残す。柔らかな窪みは、そこで狐が束の間の休息を得たことを示している。小さな動物が雪に半分埋まりながら、うねるように歩く。それらのイメージを、半分は動物になって追体験してみるのが冬の愉しみの一つ。葉を落とした灌木の茂みの中に、野生の梨が鳥たちに見つからず残っていたりする。それは天からのご馳走だ。

下北風景 / Landscape

下北風景 パステル、クレパス

久しぶりに風景画を描いてみようかと、スケッチブックに子どもが使った残りのクレパスなどで、イメージを描いてみた。

母を見舞った病院から1.5kmほどの、道沿いにある民家。車の出入りする轍の跡がなければ人が住んでいるようには見えない。晴天の雪景色だったが、そのままではまるで観光写真に見えるので、月夜を思わせる、青い風景にしてみようかと、2〜3枚スケッチした。

絵の半分は見る人が描くものだ、という考えが近年強くなってきた。文化とか環境とか生命という大きな次元の中で、「個」ということの意味が私にとっては随分変わってきた。始めに個ありきではなく、どう生まれ、どうやって輝くのか、少し考えるようになってきた。