コロナ休み

「 Green apple 」 2020

現在、世界のおよそ3分の一にあたる人々に、移動の制限がされているらしい。Covid-19が猛威をふるうヨーロッパでも、犬を散歩させる場合でも自宅から10m以内という厳しい制限のあるところもあれば、庭や公園で友人たちと食事を楽しんだり、スポーツなど身体接触があっても(全体として気をつければ)OKというレベルの国、地域もある。みんながみんなパニックになっているわけではない。

外出制限、テレワーク(自宅でのパソコンによる仕事)、休校、レストランなど生活必需品の販売以外の商店の閉鎖、三人とか五人以上の集会禁止、ほぼあらゆるイベントの中止、美術館・博物館・図書館・劇場などの文化施設の休館…など、要するに強制的に自宅で休みを取れということ。普通のときと違うのは、いつ休みが終わるのかわからないということ。そして、長引きそうだということ。

アメリカ・エール大学のインターネット通信講座の受講者が50万人増えたという。この機会に、新しい資格を取るための勉強を始めたなどというポジティブなニュースが、スマホやパソコンの画面を駆け巡る。「不安がっていても仕方がない。お前も前向きに何かためになることをやれ(文句をいうヒマがあったら)」と圧力をかけられているような気がして、かえってストレスだ。ポジティブも結構だが、ただ体を休めるだけだって悪いことじゃないだろう。

海上で遭難し、ゴムボートなどで漂流する時、早く死ぬ人は体力の消耗より、先が見えないことのストレスによる方が多い、という話をどこかで聞いたことがある。だいぶ昔のことだから、今もそれが事実なのかはわからない。でも、先の見えないのが大きなストレスになることは確かだ。気を紛らす術を知っている方が絶対にいい。図書館から100冊くらい借りておけばよかったが(実際は10冊までしか借りられないが)、真っ先に休館されたのは残念だった。

Covid-19 に見る、「日本」という考えかた

「Snickers 2」 2020 水彩

新型コロナ・ウィルス(Covid-19)がヨーロッパと南北アメリカ大陸、さらにオーストラリア、アフリカへと広がりつつある。アジアでは中国と韓国がどうやらピークを越えたようで、台湾、シンガポールが制圧に成功するかどうかの瀬戸際。他のアジア諸国では日本同様、感染が拡大しつつあるというのが大勢のようだ。ウィルスの国内感染を防ぎたいのは世界各国共通だし、入国制限などの具体例では日本もほぼ各国と横並びだが、そのプロセスにおいて日本は世界と考え方が全然違う国なのだな、とつくづく感じさせられた。

安倍首相は「専門家の助言を聞いては『いないが』」(自分自身の判断だ)と述べるのに対し、私の見る範囲内に限るが、各国の首相、大統領は「専門家の意見を(常に)聞きながら」と、「専門的・科学的知見を前提に」国民に訴える姿勢が極めて対照的だ。確かに、思い起こしてみれば「私(安倍)は『森羅万象を統括する』総理大臣でありますから…」と国会答弁で幾度か堂々と応えているから、そういう姿勢もなるほどとはうなづける。「森羅万象を統括できるならそもそもcovid-19など出すな」とは誰しも思うけれど、虚言癖、誇大妄想、記憶喪失という重い症状だといわれる首相の言葉などに、いまさらこだわっても時間の無駄だ。

けれど、安倍氏をナメてはいけない。彼は政治の「天才」だと、私は思う。ヒトラーに極めて近い人間性を持っていると私は感じている。天才はたいてい「純心」だ。「純心」とは、自分だけがこっそり儲かるような行動をするとか、そんな世間的な打算が無いことをいう(選挙は別)。祖父の岸信介の願望達成に命を懸ける純心さ(皆のためになると思い込む宗教心に近いもの)、それが、元々ポリシーなどなにも無い多くの単純・無心(≠無垢)な自民党議員をまとめる力にもなるのだろうし、「特攻精神」などを崇高と賛美する一部国民の軍国主義的な美学(宗教)を代表できるのだとも思う(念のため断っておくが、旧日本軍における特攻隊隊員がそのような単純な精神の持ち主だけだったなどとは、私は露ほども考えていない。むしろ「特攻精神」なるものは特攻せずに済む人々による、単に煽動的な言葉だと考えている)。

そのような美学(宗教)を共有する人々には、日本を「ヤマト民族」独自の「当たって砕けろ」の特攻精神だけでcovid-19にぶつけ、しかも「必勝する」という信仰があるのだろう。科学的裏づけを二の次にしたがる、そうした神がかり的な発想が「いさぎよい」犠牲を国民に強い、そのあとを「自己責任」と丸投げする安易さにつながっているのではないか。

“コロナ” が照らしているもの

権現堂桜堤 2020年3月21日(土)午後3時。とても静かな花見

3月18日(水)に引き続き権現堂桜堤に行ってみた。4日前はほとんど咲いていなかったが、蕾は膨らんでいて、土日に暖かくなれば開花すると思っていた。今日はほとんどの木で開花していたが、全体としてはまだ1〜2分咲きというところ。現在の自粛ムード中としては、思っていた以上の人出だったが、それでも例年に比べるとずっと少ない。そのぶんゆっくり観られるし、屋台ごとに異なる音楽をガンガンかけたりの騒音や、目障りな提灯もないので、桜を見るだけなら例年よりずっと心地良い。

静かさといえば大相撲春場所。相撲はいつもラジオで聴くだけだが、コロナ禍のため無観客開催となっているせいで、力士どうしのぶつかる音や激しい息遣いだけでなく、仕切のたびに足で砂をならす音まで聞こえてくる。相撲協会としては興行収入が入らないのでがっかりだろうが、ラジオファンとしてはいつもの場所より満足度はずっと高い。選抜高校野球は中止になったが、もし無観客で開催していたら、きっとこちらもラジオの野球ファンを喜ばせていたことだろう。

おそらく、このコロナ・ウィルス禍を契機に、日本(人)の働き方は変わるに違いない。政府が音頭をとって小手先の働き方改革など主導するより、迅速に、実効性を持って変化する。自粛期間が長くなれば廃業する中小企業は増え、失業者は溢れるだろうが、それももしかしたらどんどん老化衰退するばかりのように見える日本を、一気にシャッフルし、若返りを図れるチャンスになるのかもしれない、とも思う。働き方が変われば考え方も変わる。そこに少し希望はある。しかし、それまで耐えられるかどうかは判らない。

考えてみると、(とくに北部)イタリアなどでは外出自体が禁止されている。地域によっては、生活必需品の買い物にさえ理由書のようなものを携帯しなければならないという。そんな人々が、感染源の一国とされ、国内感染者も増加している日本で花見などしている風景を見たら、「人の痛みが分からないのか」と非難する人がいてもおかしくない。そのような感情は政府や経済界の方々には理解できないらしく、いまだにオリンピック7月開催に固執している。おそらく実現できないだろうが、仮にやったとしても「人の痛みに共感できない」国が、自分たちの「お金のため、メダルのために」他国の「選手を犠牲にした」最悪のオリンピックだったと歴史に名を残すだけだろう。権現堂では桜の下で宴会している人はさすがにいなかった。でも、オリンピックの旗の下で宴会する人々はきっといるだろうと思う。