ワールドカップ

ワールドカップ Hグループ第2戦 日本-セネガル戦は、結構面白い試合だった。第1戦に比べ、どのチームも初戦の硬さが取れてきたこともある。

日本チームを応援する人の側から結果を見れば、少なくとも2-1で勝てた、残念な試合だった。ゴールキーパー川島選手の「悪いクセ」によって、初戦に続き1点をくれてしまったからだ。

前のザッケローニ監督の時も、ゴールポスト内でキャッチという、大ボーンヘッドを演じたのを覚えている。今回の初戦でも全く同じ、ゴールポスト内でのキャッチをやってしまった。そしてセネガル戦での正面シュートを正面にパンチングという「愚行」。それが飛び込んでくる相手選手の足に当たり、跳ね返ってのゴール。

見ていると、川島選手は正面からのシュートを初めからパンチングしようと決めているようで、何度も繰り返している。しかもそのたびにまっすぐ正面へ。今後も三たび、四たび同じ形で失点する可能性は高い。そのくせ、横っ飛びのシュートはキャッチしようとする。普通のキーパーとは逆。なぜかは分からないから、きっとクセだと思う。それは監督も選手も承知だと思うけれど、彼より信頼できるキーパーがいないのだろう。

とはいえ、チームとしては頑張ったし、初戦より見どころのあるいいゲームが増えた。スーパーシュート、スーパーキャッチ、スーパープレーの華やかさとともに、スーパーボーンヘッドも見られるのはやはりワールドカップならではか。

ニッポン、勝ったってよ

言わぬが「HANA」      水彩

サッカー、ワールドカップ。昨夜日本代表チームがコロンビア代表チームに勝った試合を見た。ゲームとしてはつまらない試合だった。

ワールドカップは、個々のチームを越えて選ばれた選手たちによる、世界最高峰の大会のひとつ。最高のプレーを観たいのが一番で、どちらのチームが勝つかは重要ではない。が、現実は逆で、報道も「『日本』が勝った」の一辺倒。それがもっとつまらない。

サッカーファンとサポーターはイコールではない。野球ファンと巨人ファンがイコールではないのと同じように。知人に巨人ファンがいた。巨人が負けた日は家族にも当たり散らし、自分以外の家族全員を野球嫌いにした。野球は「勝たなければ意味がない」。それが彼の野球観だった。

日大アメフト部の悪質な反則行為が問題になった。その深い原因は勝利至上主義にあると言われるが、その通りだと思う。なのに、サッカーは別なのか。そういえば「絵を描いたって、売れなければ意味がない」と私に向かって言った親類もいる。そのくせ「1枚くらい呉れ」。そっちの方が「意味わからん」。

原発の浜で鰈を釣る

奥は東通り原発。手前は夜間標識灯

二泊三日で下北に、母を見舞いに来た。今年3回目だが、今回が一番短い滞在で、一番安心して下北を後にできる。快方に向かっているというのではなく、日々確実に衰弱していくのを止めることはできないのだが、苦しまずに済んでいる、という意味で。

身体はほぼ骨と皮だけになり、今は点滴だけで生きているが、その骨の太さに驚く。腕利きの漁師だった父(私の祖父)のおかげで、魚の骨までしっかり食べてきたことの証明だ。

起き上がることはできないが、ボケてはいないので、2日間ずっと母の部屋で(病院ではない。自室)、昔話をした。こちらにはできるだけ話をさせて舌や喉の筋肉を使わせようという邪な考えがあるが、どこか別のところからエネルギーを供給されているのではないか、と感じるほどに淀みなく話す体力と、その記憶力の良さに再三驚かされた。

丸々と肉付きのしっかりした若き母を私は記憶している。遠い畑で一人黙々と働き、逞しく磯での漁もしてきた。バカバカしいほどの時間と労力のすべてを家族のために遣い果たした。母の思い出話は、ただの昔話ではなく、自らの肉や骨を削り出して紡いだ物語であり、彼女の母、そのまた母の物語、すべての母の物語でもある。その物語を聞くこと、理解することなしに、母を送ることはできないような気がした。弟と二人でおむつを替え、脚をさすりながら、そんなことを感じていた。

夕方、防波堤まで散歩した。鰈を釣っている地元の若い人がいる。私より4歳若いが、定年退職だという。そうか。城下かれいならぬ、原発下鰈だが、刺身にしても美味いと笑っていた。