チャドクガ(茶毒蛾)退治は冬のうち

「Seed(種)」2019 F10 tempera on canvas

1月5日。どうしても気にかかって仕方なかった、チャドクガの卵探しに再々チャレンジ。昨年の大食害からかろうじて残った2本の椿とサザンカの葉裏から、とうとう見つけた!それも15個も。一つの卵塊から平均100匹ほど幼虫に孵化するというから、1500匹近くを事前に退治したことになる。大戦果。

アメリカのトランプ氏がイランの現役将軍を暗殺したのとは意味が違う。彼はスズメバチの巣を叩く、そのあとのことまで考えないただのわんぱく小僧だ。スズメバチを、単に人間を刺す悪い奴だ、という思い込みしかないガキ。でも、それを「ゼッタイ応援するよーっ」なんて、ゴルフクラブを掲げてバンザイするバカが、何人もいるから困ったもの。こういう輩は地球上からスズメバチや、(チャドクガが発生しないように)椿の仲間の木を根こそぎ絶滅させれば解決だと考えるような野蛮人だと言って良い。

話を戻す。チャドクガの卵はネットで検索すると出てくる写真のまんま。ただ、実際に見ると意外に小さく(直径7、8ミリ〜1センチほど)、つい見過ごしてしまう。この枝、この葉はもう何度も見た思っても、さらになお数回見返してやっと見つける、という感じ。ウコン色の卵塊を見つけても、間違っても素手で触ったりしてはいけない。毒毛針でしっかり覆われているから。

チャドクガの卵は簡単に見つかりません。けれど、1個見つけると2個目、3個目は少しだけ慣れて、見つけやすくなる。考えてみれば、チャドクガだって生物淘汰の歴史を生き残ってきた一種の「猛者」。種の存続には最も重要な卵を、簡単に見つけられ、抹殺されない方法を編み出してきたからこそ現代まで生き残ってきたはず。「種の保存」という大事業の陰には、実に様々な仕掛けが隠されているということを学ぶ貴重な時間にもなった。

1月2日

「Apple(未完)」F10 テンペラ 2020・1・1開始

今年は暮れからずいぶんお酒を飲んだ。最近はだいぶ控えめにしていたし、毎日飲みたいとも思わなかったが、体調も良くなってきたのか、暮れの1週間ほどは毎日昼間から飲んだ。1日でワイン一本(720cc)を空にすることもあった。暮れの3日間は缶ビール(350cc)を1日で4〜5本。年が明けたら、なんだかビールが飽きてきた。

11月中頃から今日まで、睡眠薬を飲まずに過ごせている。そうそう、薬と酒とどちらがより体に悪いかなど考えていたのだった。そんなこと考えること自体、頭がおかしくなっている証拠。でも、なんとなくだが薬を飲まない方が、日中のぼんやり感はなくなっているような気がする。薬を飲まずに済むならもう少し続けてみよう。

教室がないので、毎日5〜8時間ほど描いている。ほとんど小品での試作。技法のこと、素材のことや手順など、1点1点あれこれ課題を考えながら描く。そして、それがこれまでの制作とこれからの制作の間にどう関わるかを考える。

それ以外の時間も案外忙しい。でも仕事ではないから、趣味のようなもの(ほんとは仕事しなくちゃいけない)。趣味といえば今は俳句。下手の横好きと言えるほど好きでもないから、締め切りの前日に作る「ねつ造俳句」。あるいは「へそ曲り俳句」。今年は目標を3つ掲げた(心の中だけ)が、まだ2日だというのに、もう達成できない予感が。

正月や諭吉は貧血一葉も    生活感滲み出ていますね。

明けましておめでとうございます

2020年1月1日朝のアトリエ

今朝は9時半起床(目覚めはいつも通り7時ちょっと前)。4時半頃からやっと安心の?眠りに入れたせいか。それまでは前夜の日本酒のせいか暑苦しくて、腕を出したり脚を出したり、もがいていた。

小学生になる前は、元旦といえば「歳取りの日」とか言われて、着物など着て父や祖父に連れられて何処かへ出掛けたこともある(それが神社だったのか、禰宜の家だったのかは全然覚えていない)。小学生になってからはだいぶ生意気になったので、登校せずに済むということ以上の喜びは特になかった(ような気がする)。

ここ数十年は毎年書き(描き)初めをする。スケッチでも水彩でも油彩でもなんでもいいが、とにかく何かを描く。それだけが私の元旦の恒例行事。1月1日にチョロっと描いたって、絵がうまくなるわけでも良くなるわけでもないのに、あえてその日に描き初めをするってことは案外自分も信心深いのかも知れない。…確かに、そのあと近くの神社にお賽銭を上げにも行ったし。