アネモネ wind-flower

アネモネ(水彩)

春らしい色合いのものが何かないかと花を探しに行ったが、チューリップくらいしか目ぼしいものがなかった。フリージアは大好きな花だが貧弱なのしかなく、ガーベラもまだ早い。そうしたなかで、アネモネとラナンキュラスが一場を飾っていた。

アネモネもわたしの好きな花であるが、葉っぱが少し面倒だ。コスモスも葉が描きにくい。ラナンキュラスなどは花も葉も見るにはいいが、複雑すぎて描くのには躊躇する。青系統の花が特に好きだが、青紫の大輪のアネモネがあったが、ちょっとかたちが単純すぎる。ベージュ色のエレガントなのにも惹かれたが、モチーフ的にはこれかなと求めてみた。白い花の中心には深い青紫。

アネモネの語源の「アネ」は「風」という意味らしい。春風が吹けば咲く花、ということなのだろう。ちなみに「アネ」は「風=息」という繋がりから、息をするもの=命=生き物となり、動物アニマルの語源でもあるそうだ。動くもの=アニメーションもそこから来ていると何かの本に書いてあった。
 制作を動画にするために撮影の準備を始めた。専用スタジオがないので、まず片付けから始めなければならない。カメラと、とりあえずあるだけの照明器具をセットして、いざ撮影開始―なんと、花が閉じてきた!

まだ、新鮮な花なのだろう。夕方になり、ちゃんと眠りに入ろうとしているのだ。さすが「アネ」ではあるが、描く方としては開いていてもらいたい。けれど、「命」を尊重して、開いたのは開いたときということで、今回は眠りの様子を描くことになった。

マッチ・ポンプ(自作自演)

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「マッチポンプ」はかなり昔に死語化した語だと思っていたが、近年「ステルス(見えない)マーケティング」(有名人に番組などで商品を使ってもらい、それとは知らせずに宣伝すること)という経済用語?の登場に引っ張られるかたちで、ときどき再出演する語になっているらしい。

マッチポンプは、ふつう悪い意味にしか使われない。自分がマッチで火事を起こしておいて、真っ先に現場に駆け付け、ポンプで水をかける。それで消火の栄誉を得ようとする、という意味だから当然だ。実際にそういう例は意外に多く、そこから国際政治の喩えにも使われたようだ。「プーチンの戦争」もそう見えている。

最近のことを考えてみると、マッチポンプだらけと言っていいような状況に見える。「火付け役」が「起業(家)」、「陰謀」が「共有」「メディア」が「煽り役」と役どころの名前を変えると、そんな風に見えてくる。ただ、それが複数であり、演者も自覚なしに演じてしまっていたりと、“ステルス”化している。一方で、YouTube動画や tiktok、インスタグラム等、こちらは皆自作自演である。マッチポンプとは言われないが、良い意味?でそれが普通になり始めている。

しかし、こちらの「自作自演」は基本文字通りのフリーランスであり、メディアに乗れば歓迎される一方で、現実の負担はかなり厳しいものがある。tokyo2020で金メダリストになったスケートボードの選手たちの、そこへ至るまでの道のりの厳しさはすでにある程度知られているだろう。けれど、彼らの前にその道へ一歩踏み出した人がいることを忘れてはならない。道をたどり、道を広げるのももちろん大変だが、最初の一歩もそれに劣らない、と思う。マッチの火をつけることがいかに大変か。ポンプまでいけば、なかば成功したも同然だと思う。

コンピューターはウソをつく

コンピューターによる切り抜き

むかし「インディアン嘘つかない」という、お菓子か何かのコマーシャルがあったのを覚えている。それが「○○噓つかない」と、今でいう流行語になったような記憶もある。

「コンピューター噓つかない」は流行語ではなく、常識「だった」。コンピューターは間違わない。「コンピューターの間違いにより」というお詫びの文言は、「(人間の)入力ミスにより」だと技術者たちから必ず不平が出たものだった。能力の多寡はあれど、コンピューターの正確さと早さには絶対の信頼が「あった」。

「だった」「あった」と過去形になったのは、コンピューターが嘘を平気で吐けるようになったから。少し前「チャットGPT」について書いた。その能力の高さを、今度は「嘘をつく」ことであらためて証明して見せたらしい(ニュースの文脈では、そのことを能力がまだ低いことの例として紹介していたが)。(人に合わせて?)「適当にごまかす能力」と言い換えてもよい。あるいは、コンピューターが自らデータを「意図的に選択したり、隠したり」という能力を身につけつつある、と言い換えたらどうだろう。

いかに博識の人でも、人間の知識には限界や偏りがあるのが普通。質問するのは当然自分のよく知らないことだから、適当な知識を織り交ぜて、納得いくような説明をされれば、それが嘘か事実かを見抜くのは簡単なことではない。しかも、誤りを指摘されると「手抜き?」を謝るというのだから恐ろしい。人工知能の研究は全世界的に猛スピードで開発競争がなされているようだが、開けてはならない「パンドラの箱」をすでに開けてしまったのかもしれない。コンピューターが人間を排除する、SFの世界が現実のものになった、これが最初の証拠でなければいいのだが。