浜辺を歩く

昆布拾い
ハマナスの群生が復活してきた
かつての木造船

昨日(8/10)、実家まで浜を歩いてみた。約1.5km。写真など撮りながら30分ほど。目の前の砂浜は(といっても、波打ちぎわからいくらも行かないうちに磯が広がっている)ここから北へ約15kmほど続く、日本最大の砂丘、下北・猿が森砂丘の南端部(2012/9/1「砂丘湖」で詳しく紹介済み)。砂丘の北端からいきなり高さ3〜400mもの断崖絶壁となり、本州北東端・尻屋崎へと続く。天気が良ければ、そこから津軽海峡を挟んで北海道・恵山(えさん)が見え、それを背景に寒立馬の写真を撮ることができる。

南へはあと3kmほどで、やはり断崖絶壁の泊磯(とまりいそ。ミサゴ=魚を主食とする鷹、の繁殖地として知られる)。さらにその南で再び砂浜、低湿地帯となり、小川原湖を経て、三沢・淋代(さびしろ)に至る。三沢の先は八戸。八戸から南へ海岸はぐっと高く持ち上がり、三陸海岸が始まる。

台風13号の余波で波は多少あるが、ぶらぶらと昆布を拾う人がいる。ひまな人(ほとんど高齢者)がするのだが、なまじ勤めている人より高い年収になることもあるようだ。もちろん自然まかせだから安定などしない。実家の掃除と墓の草むしりをした。

お盆用「過去」住宅地図

私の記憶と合致する地図

お盆である。どこの田舎でも似たようなものだろうが、この数日間はあの世からの魂だけでなく、普段遠く離れて暮らしている人たちも呼び寄せる、「合同(慰霊)祭」のようになる。同窓会シーズンにもなる。

お盆の期間内に親類の家々を巡り、仏壇に線香を上げていくのが慣習だ。行き違いになることもあるので、たいてい誰か留守番がいる。留守番が私の役目。訪ねるべき親類の家を覚えていないのだから、適役である。困るのは、線香を上げにくる人の顔は知っているが、正確な個人名と、わが家とどういう姻戚関係にあるのか、よく分からないことだ。その顔もほとんどが後期高齢者になり、若い人に車で順路通り「運んで」もらうので、話す時間などないのだが。

母に話をさせる目的もあるが、そういうわけでお盆用のにわか勉強をする。姻戚関係を聞き、職業を聞き、当時の家々の地図を描いてみる。当時の社会状況が解るだけでなく、自分がどんなにボンヤリした頭(今もだが)だったかも、ついでによく分かる。

8/10 7:00 今朝は少し日が差している。22°くらいまでは暖かくなりそうだ。

ガダ

ガダ(ギンポ=銀宝) 美味

「ガダ、突いたことあるか」と突然、母が私に訊いてきた。「ない。捕まえたことも、食べたこともあるが、夜突きに行ったことはない」と答えると、「あれはうめぇ(美味い)もんだ」という。母は娘のころ母の妹と、親類の人に連れられて、何度か夜突きに行ったことがあるらしい。潮の引いた夜、磯をかき回して魚を追い出すカギ爪のついた棒と、足下を照らすアセチレンランプとを持って、細い二股のヤス(銛)でガダを突くのがガダ漁だ。今の小学高学年〜中学生くらいの女の子が夜の磯で、遊び半分キャーキャー騒ぎながら銛で魚を突いている図は漫画になりそうだ。もちろん、普通は女性の漁ではない。好奇心旺盛だった母らしい、良いエピソードだ。

ガダとは、ウナギとかウツボを、縦に押しつぶして小型化(幅5cm.長さ30cmくらい)したような魚の地元名。標準和名は「ギンポ(銀宝)」。北海道南部から九州北部、長崎県あたりまでの、磯まわりに棲む。いったん乾燥してから、さっと炙ったり、煮付け、昆布巻きの芯にして食べると非常に美味。大量に捕獲できないため、都会の市場で見かけることはほぼ無い。

寝たきりだが、記憶力はよく、痴呆はあまり進んでいない。会話も(入れ歯を外している、少し耳が遠いのと、方言とで聞き取れないこともあるが)問題ない。点滴だけで既に8ヵ月。元気なうちに話を聞くのが、私のミッションだと考えている。