
「〇〇の家の人」という言い方がある。下北ではイエではなく、エとなる。
〇〇には、屋号が入ることもあるし、世帯主(昔なら家長か)やその妻の名前のこともあり、子どもどうしなら多くは子どもの名前になる。「タロウちゃんち」的言い方は、下北でも同じ。ただ、それが時々年代を越えても使われてしまうのが、ちょっと変わっている。マユミエ=マユミさんちはよく知っていたが、「真由美」さんが誰なのか、当時も分からなかったが、そのときから50年以上経った今でもそう呼ばれているのは驚きである。ほぼ、屋号化してしまっている。
家を人の名前で呼ぶのは、同姓の家が多いから。私の生まれた集落(150世帯ほど)では、ほぼ半分ずつが相内(あいない)と坂本。隣の集落(400世帯ほど)では伊勢田が4割、東田が3割くらい。こうなると苗字では区別できないから、人の名前で呼ぶ必要が生まれる。
多吉の家なら、タキチノイエ→タギジェという風に音便、方言化。母の父は相内長五郎だから、一家はチョウゴロウノイエ→チョゴロイエ→チョゴレと呼ばれていた。母は「チョゴレの長女」と呼ばれ、家族以外の誰も本名など呼ばない。チョゴレは地元ではダントツの漁師で、母はチョゴレの一員であることに大きな誇りを持っていた。
家族、親類をマキというが、性格や趣味など似た者もマキといい、私は直接チョゴレではなかったが、どこか漁師の気風があると思われたらしく、「チョゴレのマキ」であり、母も少しはそれを喜んでいた風であった。