母の名前

「飛ぶ男」(制作中)

「〇〇の家の人」という言い方がある。下北ではイエではなく、エとなる。

〇〇には、屋号が入ることもあるし、世帯主(昔なら家長か)やその妻の名前のこともあり、子どもどうしなら多くは子どもの名前になる。「タロウちゃんち」的言い方は、下北でも同じ。ただ、それが時々年代を越えても使われてしまうのが、ちょっと変わっている。マユミエ=マユミさんちはよく知っていたが、「真由美」さんが誰なのか、当時も分からなかったが、そのときから50年以上経った今でもそう呼ばれているのは驚きである。ほぼ、屋号化してしまっている。

家を人の名前で呼ぶのは、同姓の家が多いから。私の生まれた集落(150世帯ほど)では、ほぼ半分ずつが相内(あいない)と坂本。隣の集落(400世帯ほど)では伊勢田が4割、東田が3割くらい。こうなると苗字では区別できないから、人の名前で呼ぶ必要が生まれる。

多吉の家なら、タキチノイエ→タギジェという風に音便、方言化。母の父は相内長五郎だから、一家はチョウゴロウノイエ→チョゴロイエ→チョゴレと呼ばれていた。母は「チョゴレの長女」と呼ばれ、家族以外の誰も本名など呼ばない。チョゴレは地元ではダントツの漁師で、母はチョゴレの一員であることに大きな誇りを持っていた。

家族、親類をマキというが、性格や趣味など似た者もマキといい、私は直接チョゴレではなかったが、どこか漁師の気風があると思われたらしく、「チョゴレのマキ」であり、母も少しはそれを喜んでいた風であった。

ボウズウニと呼んでくれ

今日は下北もかなり暑い。お昼前に24°だったから、最高気温は26°にはなったと思われる。昨日、突然漁協から、今日(13日)ウニの解禁をするという放送があった。

今年は海が荒れ、7月に1回しか解禁していないという。すると、7月18日に送って貰ったウニはその時のだったのだろう(7/18「ウニ食べました」、7/19「ウニの歯」)。通常なら7月後半から8月半ばに、ウニは産卵期に入る。資源保護の観点からいえば、この時期にウニを採るのは自殺行為に等しい。それでも解禁するのは、お盆で帰ってくる息子、娘たちにお土産としてウニを持たせてやりたいという親たちの圧力が強いということなのだろう。

お盆準備でたまたま知人宅へ寄ったら、ちょうど海から帰ってきたところだった。採りたてのウニを少しだけ貰ってきた(写真)。黒く見えるムラサキウニの隣は浅瀬に生息する、棘の短いバフンウニ。地元では馬糞などと汚い呼び方はせず、坊主頭の意で、ボウズウニと呼ぶ。ムラサキウニより味がきりっと締まり、微妙で、ずっと美味しいが、市場で見かけることは滅多にない。

このウニは子どもや潜れない女性でも十分に採れるので、漁協に対するお母さんたちの解禁圧力は相当なものだったろう。ボウズウニと、ムラサキウニを適当にミックスして食べるのが至極。水分を取って、塩蔵したウニも絶品である。

なんだか疲れた

今日は暖かい日だった(酷暑の続く地域の人には「暖かい」なんて皮肉かと言われそう)。25°になったかもしれない。動くと汗をかくが、室内で少し風を通すと、一枚羽織りたくなる。

キャンバスと、洋紙の10mロール2本を探していたが、とりあえずキャンバスが昨日見つかったので、急いで120号2枚張った。今日は午前中お盆用の買い物などで時間使った。疲れたので、午後からゆっくり青の下塗りを開始。夕方からはパソコンでエスキースを更に詰めようと思っていたが、少し蒸し暑いのと、ずっと続く頭痛とで何だか疲れて、夕食まで眠ってしまった。