人間五十年

植物の移動手段(未完)

コンピューターで絵を描く、コンピューターで詩や小説を書く、コンピューターで音楽を作る。今はどれもできるし、部分的には誰でも使っている。

「で」のところを、限りなく「が」に置き換えていこうとするのが、IT技術だ。それも今はかなりの水準まで来ているらしい。

人が人に直接伝えるのは、かなりの物理エネルギーを消費するが、コンピューター経由では比較することができないほど省エネになるだけでなく、誰でもどんなカタチにでも利用できる(法律はこの際別として)。

芸術はロボットに任せることにして、人間は鑑賞、批評だけしていればいいだろうか。その判断基準もロボットに示してもらって。これも、ある部分では既にそうなっている。

高齢化社会では、老人は費用対コストの観点から、「削除」が基本になるだろう。新しい意味で「人生50年」時代がもうすぐ来るに違いない。

毎日が矛盾のなか

浮かぶ男

秋風を思わせる早朝から一転、今は真夏のような日差し。自分は蜘蛛の巣にかかった獲物のように、庇の奥にいる。

一つの色を出すにも職人的な手間がいる。30分で描くということと正反対のやり方。右手と左足どちらが正しいか、と問うようなものか。

 

梅雨入り前の爽やかな朝に

男の肖像(未完)

今朝(現在8:30)は秋を思わせる、爽やかな風。目前に梅雨入りを控えているとは思えない気分。

数日前、ニュース記事を読んでいて、イギリスはもう夏時間表示(BST)になったのを知った。「大英帝国」の広さを改めて感じる。日本も、経済だけでない視点の広さと深さが欲しいなあと、改めて思う。