
見る人にとって、自身が既に獲得しているかたちや色彩のカタログ?とのある程度のズレは興味や好奇心を抱かせ、ズレの内容によって「好き・嫌い」などに分かれていく。ズレが大きければ時に衝撃となる。
このオーバーラップは(意識はされなくても)言葉によっても同時になされている。語彙の量はそれなりのハンディとなる。例えば「紫」という語を知らなければ眼には見えても、それを表現として使うことはできない。「紫」という語は色の引き出しを開ける鍵(文字通りのキーワード)だからだ。
かたちや色を考える時、自然再現的なそれらとのズレを工夫することが、単独のかたち、色の工夫より重要ではないかと考える。