無心という時間

 スケッチするひと

雨上がりの朝。悠然と油絵を描いていた。対象は水辺に垂れ下がる枝とその影。

一人で対象に向かう時、天才も凡人も頼れるのはおのれの感性のみという意味で、スケッチはあらゆる芸術の原点となりうる。対象との向き合い方が、自分との向き合い方なのかも知れない。

目を休めるには目をつぶることではなく、遠くの緑を見ることだと眼科医に聞いた。心を休めるのは一人内省することではなく、対象に自分を投げ出してしまう、動的な時間を持つことかも知れない。

 

完璧な朝

クレマチス

情報の取り方を知らない人は羊。これからは狼の餌食になるしかないそうだ。知っていても方法がまずかったり、古かったりしたら、情報集めだけに自分の時間のかなりの部分を、遣ってしまうかも知れない。

朝の光がいちばんきれいだと思う。その光があるうちに水彩を描くのが心地よい。静かで、明るく、余計な煩いを思い出す前、そういう完璧な朝は誰にもほんの少ししかない気がする。それを大事にしたい、などとはやはり羊のたわごとか。

 

修正する

ガクアジサイ   水彩

欲張って線と面、塗りと余白との関係を探ってみたが、失敗。 原因の一つは筆で線を描くのが面白くなり、筆を動かし過ぎていること。もう一つは、そのために塗りの面が小さくなってしまったこと。人物は入れる意味が無かった。岩崎ちひろなら、傘の子を小さく入れるかも。

修正してみたが、どうだろう。見る角度も90度回転。