三宅一生 / Issei Miyake

これは何でしょう?

三宅一生(みやけいっせい)の服のデザイン。ショートのワンピース。下から頭を通し、上の丸い部分を肩まで折り返す。赤い部分が袖で、手の甲まで覆う。正面は谷折りを広げたようになる。

三宅一生は一枚の布を、「折る、穴を開ける、閉じる」という、極めて基本的、かつシンプルな手数だけで「服」という概念を満足させるデザインにチャレンジしてきた。いわば服飾のミニマリズムを目指してきたということ。しかも、同時にモダンデザインでなくてはならない、というハードルを自ら課して。

それが優れたデザインであるかどうかは技術的な問題。大事なのは何故一枚の布(でなくてはならない)なのか、それが正しい問いなのか、さらにそれをどう検証すべきなのかを「自ら考える」ことにある。三宅一生が、その辺のデザイナーと別格なのは、いまだその問いの只中に居ようとしていることにある。

 

期待などされずとも

10年も咲けなかった窓辺のサボテン

繻子蘭に続けとばかり、窓辺のサボテンに花が咲きそうだ。わが窓辺にては咲きたる記憶なし。買った時にはおそらく咲いていたと思うが、それ以来の開花だろう。少なくとも10年にはなる。小さな鉢にぎゅう詰めの寄せ植えだから、それぞれが成長する上でギリギリの凌ぎ合いがそういう結果になっているのだと思っていた。

それが今年咲く(だろう)とはどういうことか。確かに今年は何粒か肥料をあげたかも知れない。でも、今年だけでもない。寄せ植えの一部を他の鉢に移したら、短期間ではるかに大きく太く育った。依然としてこの鉢がぎゅう詰めの、育ちにくい環境であることは間違いない。

当然のごとく花など期待していなかった。サボテンに意思があって、無理やり咲いてみせようとしているわけではなかろうが、生き物はこうしていつも(咲く)準備はしているのだな、とは感じた。

繻子蘭(しゅすらん)

繻子蘭の花が咲いた(背後の明るい緑の葉は無関係)

繻子(しゅす)は織物の一種のこと(英語ではSatin:サテン)で、基本的な織り方のひとつだが、あまり耳にしなくなった。引き締まった独特の光沢をもつが、それがこの蘭の名前に繋がったのだろう。

繻子蘭は(写真では見えないが)葉の下に、蛇がくねるように太い茎が低く伸びていく。「這うように」と言ってもいいかも知れない。葉はやや厚く、表面にはビロードのような光沢がある。深く濃い緑の葉の中に、赤い葉脈が付け根から先端まで幾筋か平行しているのも絵的に美しい。寒いところが苦手で、だいたい人と同じくらいの温度が好きらしい。

2日ほど前から花が咲き始めた。花はとても可愛い。とくとご覧あれ。花の大きさは直径1cmほど。カトレアのような「あばずれ女」と比べれば、いかにも清楚可憐。比較的太い茎の割には小さめの花というのも、私には好ましい。「本当に美しいものは、たいてい地味であり無口である」を実感する。