ダイエットのなぞ

メタボ予備軍候補者?に選定されて以来、機会あるごとにそれとなく関連情報を収集している。メタボ解消の一つのファクターが「ダイエット」で、ダイエット=体重減少とは言い切れないが、体重の増減は大きな要素である。それを摂取と消費のカロリーの関係だけに絞れれば目標が立てやすいので、ダイエットといえばカロリーのことになりやすい。

一番単純で誰にも納得できるのは、(摂取カロリー<消費カロリー)=体重減・・・① 。「摂るより消費するカロリーが多ければ体重は減る」と、極めて解りやすい。説明会でいただいた「コツコツ減らす!100kcal 食事編」というポケットブック2ページ目に、「あなたにあった食事量は?」という計算式が乗っている。

 身長×身長×(理想のBMI=22)×基礎代謝基準値(定数)×活動量(定数)=あなたの理想の体型の推定エネルギー必要量

べつに「理想的な体型」など望んでもいないが、とりあえずこれに自分の数値を代入すると
 1.69×1.69×22×21.5×1.5=2060 kcal ・・・②
となる
 BMI=22 については、わたしより皆さんの方がたぶん詳しい。21.5や1.5は、年齢や仕事内容によって異なるカロリーの消費環境を、いくつかのカテゴリーに大別したときの定数で、50-60代男性、坐っていることが多い人は、それぞれ21.5、1.5)。
 

上の①、②の式を見れば、「2060kcal の摂取カロリーを維持すれば、(いずれ)理想の体型になる」ように思える。ところで、わたしが上記の理想の体型 BMI=22 になった時、体重は62.8kg になるらしい。かつ、その時のわたしの基礎代謝量は 1343kcalで、「一日中座ったままの仕事が多い人」というカテゴリーを選択すると、わたしの一日の消費カロリー=1612kcal ・・・③ となる。

 すると、ここでひとつの矛盾が生まれてくるように思える。
 BMI 22=62.8kg=1612kcal<2060kcal

 つまり「2060kcal 維持ではBMI=22 には到達しないのではないか」ということである。特別に(こっそり、激しい)運動をしない限り、摂取カロリーが1612kcal を越えれば62.8kg は維持できなくなりそうに思える。62.8kgになりたいわけではないし、その気も全くないが、多くの人がダイエットに関心を持っているらしいのは確かだから、約1600Kcal のうちの400kcal(4分の1) という大きな差についての説明は、後日改めて報告してみたい。

ある日のポーズ

「ある日のポーズ」  水彩 F10

昨日に引き続き、今日も水彩を描く。どんな絵でも1日1枚描けばなんとなく気持ちが休まる。ここのところパソコンで描く絵は堂々巡りになってきている。映像化を意識した練習なので、つねに写真画像を使うのもちょっとフラストレーションになっている。そんなとき、教室があると、気分転換にもなり、また絵を描きたくなる。

水はなんとなく油よりは自分に合っている感じがする。油絵というのは、本来ねっとり、しっとりした材質感を持つもので、言葉のイメージに反して、水彩の方がずっと乾いてぱさぱさしているものだ。だから、水彩の水気に惹かれるというより、紙に染みこみ、滲み、流れるという偶然性、ぱさぱさした軽さのようなものに惹かれるのかもしれない。

油絵の具というのはその正反対で、偶然性よりもきちっと説明する、論理的、実証的な表現に向いている。水彩画が「感じる絵」だとすると、油彩画は「喋る(しゃべる)絵」という感じがする。画面に向かって立つと、いろんなことを話しかけてくるように感じる。けれど意味不明のことばだったり、レベルの低いことばだったり、支離滅裂だったりすることも少なくない。そんなときはムンクの「叫び」の中の人物のように、自分の耳をふさぎたくなる。

モデルさんは少し眠そうだった。今日は暖かかったし、じっと坐っているだけでは眠くなるのも仕方ない。来週はまた「冬の嵐」が来ると気象庁が警戒を呼び掛けているが、そんなふうにして、春は少しずつ近づいてくる。

 

オーロラ

「オーロラ」  水彩 2021.2

モデルになってくれた人はいま大学4年生。4月から本当の意味での社会人になる。就職が決まってから、入社前の準備も入社後に求められる資格のための勉強もしながら、少しの不安と大きな(とは言わなかったが)希望のなかで一日一日を過ごしている、と話してくれた。

「きれいだなあ」と思う。顔はもちろんだが、若さと希望をもって今まさにこの瞬間を生きていること自体を、きれいだと思う。絵を描くことは、この「きれいさ」にいつも対面する歓(よろこ)びがある、ということでもある。誤解のないように早めに言っておくが、この歓びは「若さ」に直接対面することにもあるが、もう少し率直に言えば「今、この瞬間を生きていること」、そしてその「充足感」に触れることにある。
 それは若い人に限らないし、人間にも限らない。動物であろうと植物であろうと、この瞬間に生きていることの充足感が生きていることの内実だ(わたし自身の感覚で言えば、それが石ころであろうと「いま在ることの意味」はそれと大きくは変わらない)。そして、それが自然に外へ放射するエネルギー(の大きさ)、それに触れるとき、その時間・空間を「きれい」だとわたしは感じる。それが(描く)わたし自身をも変える力になり、それが「描きたいこと」の中身だろうと思う。描くことで、わたし自身も生まれ変わっていく感覚がある。

このスケッチにそれが感じられるだろうか。描いている間は、無心にかたちや明暗、色彩だけを追いかけているつもりだが、五感(無意識)はそれ以外のことも画面に現わそうとしてくれているだろうと、勝手に期待する。来年、あるいは数年後、実際に何をしているかは彼女自身にも今はわからない。就職は「はじめの一歩」に過ぎず、すでに踏み出した。「二歩目」は彼女自身が決める。どうか、すべての人が自分自身のための一歩目、二歩目をしっかり踏み出してほしいと願うばかり。

最近はパソコンで絵を描く練習ばかりで、実際の材料で描くことがおろそかになっていた。久しぶりに実材で描くと、やはりパソコンに向かっているときとは違う自分を感じる。紙から、鉛筆から、水から、筆から、パソコンにはない手応えが伝わってくる。「その手触りだって、すでにパソコンで実現できる」のだそうだが、幸か不幸か、現在のわたしにはパソコンと実材の二つの次元がないと、それぞれの良さを味わうことができない。これを不便と思うか選択肢と感じるかはわたし次第。