変なクセ

「森の男または萬鐵五郎礼賛」 (習作)

変なクセに気がついた。メガネのフレームの、耳にかける部分を噛むクセ。右耳の、メガネをかける部分が痛いと感じていた。歳をとって皺が寄り、それが引きつれて痛いのだと思い込み、メガネをよく点検していなかった。

耳にかける部分がギザギザになっている。これじゃあ確かに痛い筈だが、どして?電車内で本を読んだり、スマホでニュースを見ている時はメガネを外す。胸ポケットがない時、メガネを歯で噛んでぶら下げながら読んでいる、それかと思い当たった。

「ワールドカップ」で、GK川島選手の「悪いクセ」のことを書いた。これは私の(最近の)悪いクセになっていた。自分のクセは気づきにくい。

良いクセもある。サッカーついでだと、試合終了後のサポーターのゴミ拾い(これは義務感?)が、日本人の、「習慣」として各国の話題になっている(クセと習慣の区別など、ここでは論外にしてくれ!)。良いクセを子どもたちにつけさせようと、学校の先生たちは様々に戦術を凝らす。しかし、それはどうも「上手な抜け道を探すクセ」の前に、完敗しているようである。

毎日いっぱいいっぱい

毎日がいっぱいいっぱいで、全然余裕が無い。お金はもちろん時間も体力も。ちょっと何かでつまづくと、どうなっちゃうんだろう、と毎日頭の片隅で考えながら、ともかく目先の用事を片付けている。文字通り、そのまんまの「貧乏暇なし」。これではイカン。

20代、お金は無いが時間と体力はあった。30代、お金は無いが体力はある。時間は少し減った。40〜50代、お金は少し使えるようになったが、体力が減り、時間が無くなった。60代、60まで生きているとは思っていなかったが、ずるずると生きてきてしまった。お金は右から左へ、細く、一瞬も留まらない急流のように流れ、体力は枯れかけた川のようにしょぼつき、あちこちで小さな水溜り。時間はマイナスに突入、時間の借金が始まった。この借金を棒引きにするのは、サヨナラの時。けれど、この流れはどうやら私だけでもなさそうだ。

何をやってきたかといえば、出来損ないの大きな絵を何枚か描き、小さな絵を誰かに飾って貰った(ている)ことくらい。これは仕事によりケースバイケースだが、すべて自分だけの責任でやってきたことが面白かった(過去形…)かな。その結果が、現在の自転車操業。

とはいえ、もしもまだ自転車に乗っているなら、行く先はもう少し先にできる。途中でふらついて倒れるなら、そこが行き先だ。ただ、途中の風景を楽しむ暇がないのでは、そもそも自転車で行く意味があるのか、そこはよく考えなくちゃいけないな。

ワールドカップ

ワールドカップ Hグループ第2戦 日本-セネガル戦は、結構面白い試合だった。第1戦に比べ、どのチームも初戦の硬さが取れてきたこともある。

日本チームを応援する人の側から結果を見れば、少なくとも2-1で勝てた、残念な試合だった。ゴールキーパー川島選手の「悪いクセ」によって、初戦に続き1点をくれてしまったからだ。

前のザッケローニ監督の時も、ゴールポスト内でキャッチという、大ボーンヘッドを演じたのを覚えている。今回の初戦でも全く同じ、ゴールポスト内でのキャッチをやってしまった。そしてセネガル戦での正面シュートを正面にパンチングという「愚行」。それが飛び込んでくる相手選手の足に当たり、跳ね返ってのゴール。

見ていると、川島選手は正面からのシュートを初めからパンチングしようと決めているようで、何度も繰り返している。しかもそのたびにまっすぐ正面へ。今後も三たび、四たび同じ形で失点する可能性は高い。そのくせ、横っ飛びのシュートはキャッチしようとする。普通のキーパーとは逆。なぜかは分からないから、きっとクセだと思う。それは監督も選手も承知だと思うけれど、彼より信頼できるキーパーがいないのだろう。

とはいえ、チームとしては頑張ったし、初戦より見どころのあるいいゲームが増えた。スーパーシュート、スーパーキャッチ、スーパープレーの華やかさとともに、スーパーボーンヘッドも見られるのはやはりワールドカップならではか。