迷路遊びなら地下鉄で

「モデル 」 水彩 F10

今朝はぐっと冷えた、らしい。ぬくぬくと布団の中にいて、ラジオで天気予報を聴いていただけで、寒さを知らず。

昨日は数人の個展を中心に都内を廻ってきた。銀座のように画廊が固まっているところではなく、開催場所がバラバラだったので、件数の割にはだいぶ時間がかかった。特に乗り換え駅の構造の分かりにくさに閉口した。

一説には、核戦争時のシェルターになるよう、ホームを深く作るようになったとも言われているが、確かに深い。そのうえ都内地下鉄では、駅どうしをくっつけて繋ぐ傾向がある。案内板も少ない。仕事柄、その類の図には慣れているはずだが、それをじっと見ても頭の中でコースを描きにくい。なまじ図を見たためにかえって迷子になる人もいるに違いない。プロジェクト・マッピングの技術など、こういうところに使えるようになって欲しいものだ。

2つ3つの駅構内を、乗り換え線ホームを探して歩くだけで汗だく、疲れとタイムロスとで、結局最後まで廻りきれずに帰宅することになった。

おにぎりは誰が作る

陽が奥まで入ってくる

コンビニのおにぎりを何気なく買う。とても日本的な食べ物(食べ方?)だから、つい日本人が作っているような気がしてしまうが、実は多くは外国人労働者、それもいま問題になっている「外国人技能実習生」たちが作っているのだという。

朝早くから、おにぎりは店頭に並ぶ。しかも賞味時間が細かく、時刻を過ぎれば厳しく廃棄される。ということは、真夜中にも作っているし、一日中ひっきりなしに作っているということでもある。コンビニは街の小さな個人のお弁当屋さんとは規模が違うのに、「おにぎり」「きんぴらごぼう」という庶民的な名称につられて、つい「近所のおばさん」たちが作っているように錯覚してしまう。

常に新しいおにぎりが店頭に並ぶということは、誰かが常にそれを作っているということなのに、そこになかなか考えが到達しない。便利さの中で私たちの想像力が縮み、自分の目先しか見えなくなっているのだ。

人手不足だから「技能実習生」枠を名前を変えて拡大しようという議論が今日から国会で始まった。34万人まで拡大するというが、既に国内の技能実習生は27万人に達しているという。そのかなりの部分が「外国人熟練労働者」にスライドすると考えられている。それに留学生のアルバイトも加えれば、既に枠は満杯に近い。労働者数を増やすというより、人権問題の目先を逸らすのが議論の目的ではないかと、疑うのが当たり前だと思うのだが。

発表するということ 2

まもなく展覧会終了(風土に生きる・展  銀座)

作品を発表することには、出品者それぞれにそれぞれの意味がある。それも、年齢などの身体状況など様々の個人事情、生活や周辺の人間的な環境などによっても、その意味はさらに変化する。

このグループ展も5回目の区切りを終わった。今後のことは話し合うが、いずれにせよ現在のまま続くことはない。けれど、このグループ展での発表を止めても、絵を描くことを止める人は誰もいない。

発表の場と、その人の発表する意味とは次元の違う問題だ。団体展と違い、話し合いでも、飲み会でも、そのことに触れる人はいない。皆一線を引いている。それがお互いを尊重するということ。5年間暗黙にそれができていた。よいグループ展だったと思う理由である。