デモンストレーション

デモンストレーション
油彩にしてみた

昨日はMの会、今年の最終日。ほとんどの人が継続中か、一段落ついたところ。きっと、ホッと油断しているだろうと思って、デモをやることにした。それに毎回口で絵を描くだけなのもフラストレーションが溜まる。

アクリルで1時間ちょっとで描いてみた(上)。実物を見ながら描くのは単純に技術的な訓練。若い頃は目の前に物を置いて、毎日何時間も描いていた時期がある。やることがなくて暇だったからだが、どことなくそれが身にしみついていて、描き始めると懐かしい感じがして、つい夢中になる。自宅に帰ってから、もう一度箱の静物を取り出したが、続けて描こうなんて考えてなかったから、中味はかなり動いてしまった。光線条件も全然違うが、止めればそれきりだと考え直して、ついでに久しぶりに油彩に切り替えてみた。

年頭の誓い

交叉する影(スケッチ)

そろそろ数え日の時期になってしまった。一年の終わりころになって、やっと年初の誓いを思い出すなんて、誓い違いも甚だしい。

今年は「自分らしい風景画」を1枚は描くぞ。そんな誓いを密かに立てていたが、いつのまにか「描きたい」という願いにすり替わっていた。「願い」では弱い。「誓い違い」であっても、やはり、誓いでなくっちゃ。「来年やろう、来年」。そうやって何年も、何年も持ち越してきた「誓い」や「願い」が積み重なり、その重みでもう胸が押しつぶされかかっている。

年末になると、いつもそんな「出来なかったこと」のオンパレード。私の、ペースメーカーに守られたハートもチキン、チキンと痛む。来年は頑張るけど、その前に今年の残りはどうする??大臣、高級官僚並みの記憶喪失症に、私もなりたいな。

銀座

 

銀座のショーウィンドウから

ここ3週間ばかり、頻繁に銀座へ行く。個展、グループ展。往復の移動時間がバカにならないので、一度に3つか4つ位は廻らないと、仕事でもないのに毎日銀座通いになってしまう。

銀座での展覧会は、多少義理絡みでないこともないが、無駄ではない。それなりに作品を見たいと思わせてくれる作家にしか、義理を感じないという鈍感さも持ち合わせているせいか、何がしかこちらに刺激というお土産を持たせてくれる。東京といえど、なかなかそうしたレベルは保てないが、銀座ではそれが「普通」。その意味では銀座は効率がいいと言える。

銀座といえば「虚飾」のイメージが、ずっと以前は私にもあった。だが、新宿などにくらべれば、銀座はずっと「素顔」で「素直」な街だと、最近は思う。少なくとも個展をやっている画家たちの殆どは、想像されるより皆ずっとずっと「素顔」で「素直」だ。というより、そうでなければ長くは続かない。

けれど、画家とかいう連中はみな、少しネジが緩むか、ずれていて、しかもそれを自覚できない人が殆どなので、そういったことが解るまでは、どこか別次元の世界のように感じる人もいるかも知れない。確かに街全体が少しばかりネジがずれた街かも知れない、が、そのズレこそ新しい世界への隙間なのに違いない。