血の薄い日

Appleまたは飛ぶ男のいる風景、習作 2019

カレンダーを読み間違えて、今日(火曜日)に国立新美術館へ行った。改札を出てすぐ「本日休館日」の案内板。せめて改札の前に見えるようにしてくれれば余分の電車代節約できるのに、そこに置かせないのも地下鉄側の経営上の判断かなと、と二重に恨めしい。

(特に)頭に血が回ってない、と感じる日がある。一つ一つの事柄がバラバラで関連づけできない。それが今日で、二つの展覧会を見るのに、会場間を移動する地下鉄の路線を頭の中に描けない。今乗っているのが何線で、どこで何線に乗り換えるのか、ササっと繋げない。乗り越したり、迂回したり、自分でも嫌になってしまう。

そういう日はもちろん頭痛も強く、何をするにも億劫。強弱を別にすると毎日の頭痛。薬を飲むほどでもないし、病院に行くほどでもない。けれど毎日の頭痛はちょっと重荷。そんな状態で絵を見てもしょうがないのではと思われるが、一つが最終日なのだから行くしかない。

制作もこんな脳の状態でやっている。アイデアを思いついても、詰めの段階で詰め切れない。「アイデア」を最終的に「作業」に落とし込む過程がボロボロ、杜撰になって方向性までフラフラしてしまう。

何だか骸骨を見ているような

旧老部(おいっぺ)小学校 2019/8/26

廃校になってから十数年経つが、いまだに取り壊さないのはここが避難場所になっているからだという。何から避難するのかといえばほぼ「津波」以外にはないが、ここは海抜7〜8mしかない(それでも集落の中では確かに「高台」ではある)から、東日本大震災を映像で見た記憶もまだ生々しい私たちにとっては、果たして避難場所として適当なのか少し心配ではある。

教室は一直線に並んでいて、一学年1クラス。向かって一番右に児童用の玄関があり(画面外)、そこから1年生(右の白いカーテンのある)、2年生、3年生の教室が並んでいる。4つ目が職員室で、中央が先生たち用の玄関。玄関から左へ音楽室、4年生、5年生、6年生、だったはず。体育館や給食の調理室などは先生方の玄関からまっすぐ奥へ進む。体育館も大きくて広く感じていたが、今見るといかにも子供サイズだ。

妹が通った頃はもう過疎化してきて児童数が激減。全校児童二十数名で、私たちの頃の1クラスにも満たなかった、小・中学校の統廃合を繰り返し、村内で25以上もあった小学校が現在は1校のみ。それでも当時の老部(おいっぺ)小学校1校より少ないという。

一周200mのグランドは自慢の広さだったが、今はただ雑草が茂っている(地元の老人たちが草取りしたりするおかげで、大きな木が生えたりしないで済んでいるらしい)。何かに利用できないかなあと思うが、歩くのがやっとの老人ばかりの集落では、利用どころか維持するのさえ負担なのだと感じられる。

過疎の怖さ

空地と廃屋。歩いている人をほとんど見かけない

下北(といっても太平洋側)に避暑中です。今日は最高気温が20°にしかなりませんでした。涼しいというより少し寒い感じがするほど。

午前8時前から午後6時過ぎまで、ほぼ休憩無しで制作しています。締切とかに追われているわけでもないのに、うまくいかないので休むタイミングが取りづらいのです。

6時過ぎ、アトリエ(要するに実家です)からホテルに向かいます。歩いても10分ほどですが、毎回荷物があるので車で移動です。アトリエを一歩出るとホテルまで誰も歩いていません。たまに車がすれ違っても人影は全くない。車を止め、後ろを振り返って見ても無人の道が薄暗い中をまっすぐ伸びているだけ。

家の灯りもあまり見えません。人が住んでいるのか、空き家なのか。途中のコンビニだけは何台か車が駐車場にある。霧のある日など、本当にホラー映画の世界に迷い込んだ気がする。いくら本州北端でも夕方6時過ぎはまだ薄明るい。7時を過ぎればお化けが出ても不思議はないような過疎の村で、誰も住んでいない家の中で、黙々と絵を描いています。