エスキースについて

エスキース1
エスキース2
エスキース3

教室ではエスキースをおススメしている。このエスキースは先日来の「ゼラニウムの構図」のためのもの。ほかにも数枚ある。「ゼラニウムの構図」自体も3点ほどある。

「エスキース」は「アイデア・スケッチ」と言えば実態に近い。要するに、作品に取り掛かる前に「どう描くか」を具体的に検討するもの。モチーフ本体だけでなく、その周辺も含めて考える。「構成」よりもアイデアを重視する。この段階が「創作」への入口と考えてよい。

エスキースをする際に一番大事なことは「描写をしない」こと。“描写する脳”と“アイデア脳”とはたぶん異なる部位の脳細胞が働いているに違いない。描写するときはアイデアが出ず、考えている時は描写は進まないことは、皆さんもすでに経験済みだと思う。
 それと関連するが、エスキースを描いている時間、各パーツにかける時間は最大でも1分以内にすること。出来れば数秒で描く。だから、大きなスケッチブックではなく、メモ帳、手帳ほどのサイズが適している。上の例で言うと、花と鉢の位置と大きさはグルグルッと2つの円で5秒。テーブル(実際は木の椅子)の位置と大きさがやく30秒。その影が30秒。奥の影の斜線が30秒。描く時間は全体で1分35秒。ただし、それぞれのあいだに「考える時間」「アイデアをひねり出す時間」が数分、時には数十分もある。1分で一枚を描けという意味ではないので、誤解のないようお願いします。

エスキースは作品をレベルアップするためには不可欠な作業です。でも、単に描くこと自体を楽しむぶんには、まずは不要でしょう。特に淡彩スケッチだけを楽しみにしている人には、見聞きすることさえ鬱陶しいことかもしれません。あくまで創作のため、作品をレベルアップしたい人だけに必要な作業です。
 これは絵画制作上のひとつの「脱皮」であり、一度越えたらエスキースを知らなかった自分に戻ることはもう出来ません。蝶からさなぎに戻ることはできないのです。いつもどこかでエスキース意識が働くようになります。でもまあ、、けっして悪いことでもないし、たくさん描いているうちには、遅かれ早かれそういう神経が磨かれてくるのですが。
 でも、それはそれとして、エスキース自体も視覚的に面白いものだと思いませんか?そうだとしたら、まさに一石二鳥なんですけどね。

リハーサル

鉢の静物(油彩スケッチ)
CGによるエスキース
「鉢の静物」油彩 F6

「リハーサル」って、ひとことで言えば「予行演習」。本番とほぼ同じ内容を、本番の予定通りに実行すること。そこで、気になったことや、浮かんできた問題を、本番までに解決しておくための(最終)準備。音楽関係、演劇関係の人なら日常語だろうし、イベント関連の人もたぶんそうだろう。でも、絵画や彫刻、版画の専門家などのあいだでは、聞いたことがない。せいぜい部分的な練習をする「習作」程度。

動画を作るようになって、わたしは「リハーサル」をするようになった(毎回ではない)。

「芸術は基本的に一期一会」、「一発勝負が本質」と思っているアーティスト(わたしも)にとっては、「予行演習」などお笑いネタに近いが、動画を作るという観点から見るリハーサルに大きな意味があることも解ってきた。しかし、それが「絵画」の制作動画を自分で作るとなると、心の中にある種の矛盾が生まれてくる。もちろん、動画にとって意味があると言っても、動画を作るすべての人がリハーサルをするわけではない。むしろ絵画同様「一発撮り」が基本だろう。

同じように、ここ数年はエスキースもわりと真面目にするようになった。若い頃はエスキースをする前にもう作品が出来あがっていた。構想が次々と湧きあがり、体力もあったから思いついたら一直線にゴールした。寄り道したり、確かめたりもせず文字通りの「まっしぐら」。当然失敗もあり、改善すべき点もあったのだが、そこを修正するより勢いのまま次に行く方が何より楽しく、それが自然に思えた。
 いま、エスキースを描くようになり、リハーサルをするようになったのは歳のせいばかりでもない、と思う。やはり、「完成度」という尺度が自分の中に入ってきたからだと思う。そんなものが必要だとも思わないのに、いつのまにかそうなってきたのが歳のせいと言われれば、そうなのかもしれないし、動画製作という(わたしにとっての)新しい分野からの“刺激”なのかもしれない、とも思う。

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる?

動画製作中の1カット。こういう練習も無駄なのだろうか

下手くそな猟師でも、何度も狩りを繰り返せば、そのうちまぐれでもまともな獲物にありつくという、「経験」を勧める「たとえ」。

そうなんですよねー。絵もたくさん描いているうちには「オッ!」というのができることがある。「けれど、それはまぐれ」。いやいや、そう考えてはいけません。声を大にして言いますが、「まぐれは実力!!!」なんです。

 アメリカの野球で大活躍の大谷選手。2022シーズンでは43本のホームランを打って、一時はホームラン・キングをつかめるかというところにいました。今年はどうでしょうね。来年、再来年はどうでしょうか。仮に今シーズン、40本行かなかったとしても、わたしは彼の実力が落ちたとは全く思いません。半分以下の20本だとしても評価は変わりません。「打てた」ことが凄いんです。それを毎年なんて、期待する方が無理なんです。野球だけ例に出して恐縮ですが、プロ野球で4割打てるバッターはいません。2割以下でもプロはプロです。
 何を言いたいんだっけ?―そうそう、まずは数撃て、経験を積め、ってことですよね。そう、経験しか自分を伸ばしてくれるものはないんですよね。知識もいったん「体験化」しないと、絵に描いた餅のまま。もっとも、「200枚描け」と言ったら、ずらずらと200枚描いて自分を固定してしまい、あとは何ひとつ聞き入れないという人がいました。わたしにとっても想像外で、おおいに反省しました。ライオンのハンティングも9割以上失敗するそうです。わたしたちは失敗しても「今日のご飯」のある「人間」です。まずは数撃っていきましょう。

ところが、ここでもとりあげた、最近話題のチャットGPTという言語処理機能の発展が急加速して、「経験など役に立たないのではないか」どころか、まったくの初心者が「失敗無しに」ベテラン以上の成果をあげることが常識化し始めた感がある。「数撃ちゃあたる」と言ったばかりなのに、こちらは「一発必中」。それも数秒で。「コツコツと努力」などと言う言葉がアホらしく感じられてしまう。なんだか「人生の半分以上が数秒の価値しかなかった」と言われているような気がして、まことに辛いものがある。表題に?をつけざるを得ないゆえんである。