リハーサル

鉢の静物(油彩スケッチ)
CGによるエスキース
「鉢の静物」油彩 F6

「リハーサル」って、ひとことで言えば「予行演習」。本番とほぼ同じ内容を、本番の予定通りに実行すること。そこで、気になったことや、浮かんできた問題を、本番までに解決しておくための(最終)準備。音楽関係、演劇関係の人なら日常語だろうし、イベント関連の人もたぶんそうだろう。でも、絵画や彫刻、版画の専門家などのあいだでは、聞いたことがない。せいぜい部分的な練習をする「習作」程度。

動画を作るようになって、わたしは「リハーサル」をするようになった(毎回ではない)。

「芸術は基本的に一期一会」、「一発勝負が本質」と思っているアーティスト(わたしも)にとっては、「予行演習」などお笑いネタに近いが、動画を作るという観点から見るリハーサルに大きな意味があることも解ってきた。しかし、それが「絵画」の制作動画を自分で作るとなると、心の中にある種の矛盾が生まれてくる。もちろん、動画にとって意味があると言っても、動画を作るすべての人がリハーサルをするわけではない。むしろ絵画同様「一発撮り」が基本だろう。

同じように、ここ数年はエスキースもわりと真面目にするようになった。若い頃はエスキースをする前にもう作品が出来あがっていた。構想が次々と湧きあがり、体力もあったから思いついたら一直線にゴールした。寄り道したり、確かめたりもせず文字通りの「まっしぐら」。当然失敗もあり、改善すべき点もあったのだが、そこを修正するより勢いのまま次に行く方が何より楽しく、それが自然に思えた。
 いま、エスキースを描くようになり、リハーサルをするようになったのは歳のせいばかりでもない、と思う。やはり、「完成度」という尺度が自分の中に入ってきたからだと思う。そんなものが必要だとも思わないのに、いつのまにかそうなってきたのが歳のせいと言われれば、そうなのかもしれないし、動画製作という(わたしにとっての)新しい分野からの“刺激”なのかもしれない、とも思う。

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる?

動画製作中の1カット。こういう練習も無駄なのだろうか

下手くそな猟師でも、何度も狩りを繰り返せば、そのうちまぐれでもまともな獲物にありつくという、「経験」を勧める「たとえ」。

そうなんですよねー。絵もたくさん描いているうちには「オッ!」というのができることがある。「けれど、それはまぐれ」。いやいや、そう考えてはいけません。声を大にして言いますが、「まぐれは実力!!!」なんです。

 アメリカの野球で大活躍の大谷選手。2022シーズンでは43本のホームランを打って、一時はホームラン・キングをつかめるかというところにいました。今年はどうでしょうね。来年、再来年はどうでしょうか。仮に今シーズン、40本行かなかったとしても、わたしは彼の実力が落ちたとは全く思いません。半分以下の20本だとしても評価は変わりません。「打てた」ことが凄いんです。それを毎年なんて、期待する方が無理なんです。野球だけ例に出して恐縮ですが、プロ野球で4割打てるバッターはいません。2割以下でもプロはプロです。
 何を言いたいんだっけ?―そうそう、まずは数撃て、経験を積め、ってことですよね。そう、経験しか自分を伸ばしてくれるものはないんですよね。知識もいったん「体験化」しないと、絵に描いた餅のまま。もっとも、「200枚描け」と言ったら、ずらずらと200枚描いて自分を固定してしまい、あとは何ひとつ聞き入れないという人がいました。わたしにとっても想像外で、おおいに反省しました。ライオンのハンティングも9割以上失敗するそうです。わたしたちは失敗しても「今日のご飯」のある「人間」です。まずは数撃っていきましょう。

ところが、ここでもとりあげた、最近話題のチャットGPTという言語処理機能の発展が急加速して、「経験など役に立たないのではないか」どころか、まったくの初心者が「失敗無しに」ベテラン以上の成果をあげることが常識化し始めた感がある。「数撃ちゃあたる」と言ったばかりなのに、こちらは「一発必中」。それも数秒で。「コツコツと努力」などと言う言葉がアホらしく感じられてしまう。なんだか「人生の半分以上が数秒の価値しかなかった」と言われているような気がして、まことに辛いものがある。表題に?をつけざるを得ないゆえんである。

薔薇の「練習」

薔薇のデモ制作(水彩・F4)

今朝(2023.04.13)、ラジオからJアラートの警報が全国に響き渡った。「北朝鮮からの弾道ミサイルと思われる物体が北海道に向けて飛行中。午前8時頃に北海道に落下する模様。ただちに避難してください!」。運転中だったが「頑丈な建物、または地下鉄、地下室などへ避難」と具体的だったので、本当かと驚いた。

結局、岸田首相が「我が国の領域内に落下していないことは確認している」で終わり。途中までは飛行物体は2個あるかのような発表もあったが、それもなかったことに。

これは防衛予算を大幅アップしたことを国民に納得させるための(一部)フェイクニュースではないかと、疑った。ここ数日、盛んに報道されている陸自の幹部を乗せたヘリコプターが墜落した事故についても、一時は「中国軍云々」の話も出て、いくらなんでもそれはないだろうと思ったが、その時もその話の出どころは防衛予算絡みのところからではないかと想像した。 
 今回のミサイルに関する警報を、防衛省が本当にそう信じていたのだとすれば、それはそれで航跡の計算が実に幼稚なレベルにあることになり、果たして「敵基地攻撃能力」など持たせていいものかと心配になる。早まって、ありもしない攻撃に対して「反撃」し兼ねないからだ。「ちょっとした間違い」では済まない、恐ろしい話。

薔薇のデモ制作。薔薇を描く練習。最近特に話題のチャットGPTなら、「白っぽいピンクバラ、やわらかい感じ。緑の葉の中に浮かぶように」などと話すと、たちどころに数枚の薔薇の花を“描いて”くれる。もう練習する必要などない。少なくとも「描くこと自体が好きでないならば。」絵を発表などする時代は終わってしまった。技術の進歩は早い。あと数年もしないうちに、きっとそうなるだろう。その時やっと、「絵は自分自身のためだけに描くのだ」ということが実感されることだろう。