斎藤兵庫県知事と維新

マスカット(水彩)

斎藤兵庫県知事のパワハラ(パワーハラスメント)を巡って、マスコミも、女子会なども盛り上がっているようだ。そこへ維新が知事に辞表を出すよう申し入れた、との報道があった(NHKなど)。

馬鹿じゃないだろうか、と呆れる。維新にもマスコミにも、だ。パワハラが実際にあったかどうかの判断は担当する機関に委ねるとして、まず確認しておかなくてはならないことは、知事が知事である理由は県民が投票したからである。知事の進退は、投票してくれた県民に対して判断されるべきもので、いかに維新出身の知事であろうと、維新の意向でどうこうすべきものではなかろう。単純に、次に予想される衆議院選挙にマイナスになるという思惑の見え透いた、浅はかで間抜けなポーズである。
 同時に、マスコミの辞任圧力には、こちらこそ社会的パワハラそのものではないか、と思う。報道のあるべき姿だとは到底思えないが、NHKはじめ、自分だけが正義とばかり、世論誘導する姿を往々にして見なければならないことは、本物の報道機関を失ってしまった国民の一人として情けなく、恥ずかしささえ感じる。

維新がやるべきことは、自分たちが応援した知事の不祥事(だと思うならば)に対し、上から目線で辞任要求することではなく、まず投票してくれた県民にお詫びすることでしょう。票を投じてくれた県民の頭ごなしに辞任要求するなんて、県民に対するむしろ侮辱とさえ感じられる。維新なんてこの程度だ、と自ら公言しているようなものではないか。

斎藤知事に希望することは、辞任せず、逃げ回り、出来るだけ多くの膿を出し切ること。自らの膿も、庁内、維新の膿も、マスコミの膿も。言葉は悪いが、これからの政治のための犠牲者になってもらいたいということ。一般人ではできない、特別の人だからこその、汚れ役になってもらうことが、一時の県政より有意義なことかもしれないと、勝手ながら思う。幸い、知事は辞任要求を拒否したらしい。

時々自信をつける

今日も1枚描けた

皆さんこんにちは。このクソ暑い夏も、台風のニュースを聞く頃になれば、そろそろ終わりだな、と心なしか口角が上がってくる。

年とともに、誰しもいろんなことに自信を失ってくる。体力、記憶力、想像力などなど。「老人力」なんてベストセラー?の本が出たりするけど、まあ、要するに「がっかりするのもほどほどにね」というほどのものだろう。高齢になっても自信満々というのは、バカかロクでもない奴と相場は決まっている。

けれど、時々自信を回復したり、自信をつけたりするのは必要だ。落ち込み過ぎて自殺などしても、誰も喜ばぬ(と、思っておこう)。自信も、不信も、過信も一言で言えば、自分自身の「思いこみ」に近い。隣を歩いている人よりちょっと早かったりすると、「まだ脚は衰えていない」なんて喜んで自信を回復する。その人が、単に他の人より遅いだけでも、勝手に自信が回復してしまう。そんな便利な頭が必要だ。

あらゆる意味で自信が全くない人、というのはこの世に存在しないと思うけれど、自覚された自信は、時に爆発的な力を発揮することがあるのは、スポーツなどでは特によく言われること。目標がどこにあるかで自信の持ち方も変わるのも当然だ。「必ず優勝できる自信がない」などというのは、おそらく他人にはに想像もできないプレッシャーが言わせる言葉だと想像するが、不幸な方向性をもったあり方のような気がする。「このぶんなら、明日も何とかやっていけそうだ」くらいの自信を、時どきはつけようぜ。もっとも、これが自信でなく「希望」だと、ちょっと悲しくなるが。

「いちじくを描く」をアップロード

8/24 18:00 アップロードしました

透明水彩-「細部を考える」―いちじく、を前回の「桃」から2週間。「青いカモメ展」からでも9日かかって、やっと。1週間を目標に頑張りましたが、2日遅れ。まだまだスピードも足りません。

最近、再生AIで音声を作っているYouTubeをかなり見るようになった。もう半分くらいはそうなっているのかもしれません。え?というような言い方は時々あるが、それは作り手の手抜きによるもので、ちゃんと作ればもうほとんど人間と聞き分けができないといいます。メモを数行作り、それでAIに原稿を作らせ、そのままAIに読ませる。男声、女声はもちろん声の質、などかなりカスタマイズもできるらしい。

さらにすごいのは、ビデオを丸投げすれば、ビデオ編集までしてくれるのだそう。大事なのは的確な指示の仕方。指示の仕方を勉強する方が、ビデオ編集そのものを練習するより数倍意味がありそうです。「まだまだスピードも足りません」なんて言ってる場合じゃないんですね。そういう感覚、思考回路そのものが時代遅れだっていうことですよ。睡眠を犠牲にしてまでやる内容、その方向が間違っている。問題はそれが出来るかどうか。やるかやらないかはもう過ぎてしまってます。

ロボットの進化も目覚ましい、とか言うレベルじゃないようです。人工知能とか、わたしなどが聞き知っている「昔の」人工知能とは隔世の趣です。人間が「教える」感覚が以前はまだあったけど、現在の人工知能は完全にゼロから学習可能になり、ロボット自ら、それも人間なら北京原人あたりから現在までの、とまではいわないが、軽く○○万世代という脳の進化を数時間で身につけられるというんです。開発者ですら、「今このロボットが何を感じ、何を考えているのか分からない」というんですから恐ろしい。映像でも見たけれど、希望の100倍くらい不安になった。パンドラの箱はもうとっくに開いてしまった。