立秋

「危険な暑さ」とか言ってるうちに、今日は「立秋」。秋らしさの微塵もないが、暦上はそうなっている。外を見れば確かに曇っていて、予報では夜の9時頃に、雨の確率25%。

パリ・オリンピックがたけなわで、大腸菌だらけのセーヌ川に選手を泳がせたとか。南米ベネズエラでマドゥーロ独裁政権に対する反政府運動が始まり、暗殺された?プリゴジンが率いていたワグネルが、マドゥーロ独裁政権側の助っ人としてデモの鎮圧に関わったり、ハマスの最高指導者ハニヤ氏がイランの首都でイスラエルの情報機関モサドによって暗殺され(イスラエルのメディアによる、という報道)、メンツを潰されたイランが数日中に報復するとか、ここ1週間ほど急速に盛り上がっていたバングラデシュの首相退陣要求のデモが首相官邸を取り囲むに至り、とうとうハシナ首相がインドに逃げ出したとか。世界はまさしく「地球沸騰」状態にある。

日本の夏は暑いが、沸騰ではない。むしろ、世界の沸騰からはガラパゴスのように遠く、経済力世界第3位とか第4位とかいう割には、ひたすら蒸暑いだけの無風?状態のようだ。それでも、「コップの中の嵐」という言葉があるように、「日経平均の乱高下」、「危険な暑さ」や大雨などの災害があり、経済や気候を通じて、一応世界とは繋がっているんだなーとは感じられる。株価の変動や気象災害も、当事者には小さくないは思うけれど、暴動や戦争に比べれば、という意味ですが。

立秋という言葉には「爽やかさ」と同時に、去る夏を惜しむ「寂しさ」が込められている。俳句などでは、この2つの感覚が同時に意識される。確かに、沸騰する地球の中で、「蒸す」だけならまだしも爽やかかも知れず、世界から取り残されていく寂しさもあって、「立秋」は、今の日本にぴったりの語かもしらん。

ある風景

数日前、イスラエルのネタニヤフ首相がアメリカ連邦議会で演説をした。共和党、民主党双方の議員たちの招待だということだったが、欠席する議員も50人以上いたといい、出席しても、「戦争反対」のプラカードを文字通り胸に抱えながら聞いている議員も、映像では見えた。

ネタニヤフ氏の主張を一言で言えば、「もっと、サッサと武器をくれれば、すぐにやっつけて見せますよ」というもの(第二次世界大戦で当時のチャーチル英首相がそう言ったと例を引きながら)だったようだ。これにほとんどの議員がスタンディングオベーションで応えていたのが印象的だった。

彼のこれまでの言い方を敷衍すれば、「悪いのは常にパレスチナ人」であり、「(直接は言っていないが)彼らさえいなければ、平和が訪れる」とでもいうことになりそうだ。ナチスの被害者であった彼らユダヤ人だが、今や立場を180度変え、イスラエルこそが “民族浄化” を掲げたナチスそのものになり果てた感がある。
 プーチン大統領も「ウクライナのネオナチをせん滅する」ことを侵略戦争の大義にしているが、同様の意味で、ナチ化しているのがどちらかは明らかだろう。恐怖を感じさせるのは、ネタニヤフ氏の演説に対する米連邦議員たちの対応である。特に共和党のトランプ前大統領は娘婿がユダヤ人であることもあってか、2017年にあえてエルサレムをイスラエルの首都と認め、それまでのパレスチナとのさまざまな折衝に当たってきた米総領事館を廃止、アメリカ大使館をエルサレムに移転するなど、100%ネタニヤフ氏の側に立つと想像される。バイデン政権になって、総領事館は再開したものの、バイデン氏もまた基本的にイスラエルよりの姿勢である。たしかブリンケン国務長官の両親もユダヤ系の人だったと思う。

カマラ・ハリス氏がもし大統領に当選しても、このイスラエル寄りの姿勢が変わることはあり得ない。比較的若い世代のアメリカ人たちが、このナチ化に反対し始めている(彼らは反ナチ化とは言わないが)ようだが、分断のアメリカで、この動きがどこまで広がるかは疑問である。殺す側の大義はいくらでも転がっているが、殺される側には石ころしか転がっていない風景である。

顔 Face as a Leader

        「桃を描く」  ※制作videoは2週間後くらいにアップする予定です

ここ数日、アメリカ大統領選挙の関連でメディアに露出するカマラ・ハリス氏の顔を見ていると、候補者というより、もうすっかり「大統領の顔」になっている、と感じる。おそらく、もうトランプ氏は勝てないだろう。

トランプ氏の顔が大統領に見えてこないからである。「確トラ」が「もしトラ」に戻ってしまった。バイデン氏と並んでメディアに表示されていた時は、バイデン氏の方が「錆ついて」見えたが、形勢は変わったように見える。

メディアでの露出を見ているだけだから、実態など分からない。けれど、ABCとかCNNその他BBCなど日本でも普通に見られるし、逆に考えると、アメリカの多くの人々だって実際に彼らの顔を見ることなどほとんどないだろうから、sourceは似たり寄ったりではないだろうか。だから、どちらの顔が大統領に見えるか、という意識は軽くないと思う。

ちなみに、次の日本の総理大臣はどんな顔かと考えると、相応しい顔が全く浮かんでこない。候補と噂される方々の顔を思い浮かべても、いずれにも不快な印象しか持つことができない。演説一つとっても、どうして日本の政治家は、名手と言われるオバマ元大統領ほどでなくても、ハリス氏程度の演説ができないのだろうか。演説の顔が、政治家の表の顔であるはずなのに。