家庭科の先生

男子厨房に立ち入らず。誰言ふとも知らず、世間にてはただ男の厨房仕事の手伝ひを厭へる分別ならん。我が家にては盛んに「男子、繁く厨房に立ち入りたまへ、helpしたまえ」と呼ばわれるも、男子何故かいずれも耳遠く、聞こえぬが難なり。

我が妻、「料理、洗濯、掃除」の先生也。「先生」の意、「不如意現実」。往時「唐変木」先生の遠隔子孫なり。先生その血濃厚なるを家人驚嘆す。是ダーウィン卿定理の奇跡の証左とならん。

以下に先生の偈、その一例を挙ぐ。料理:「料理は簡単を以って旨とすべし」簡単するに、お惣菜買えば佳し。是非もなし。洗濯:「洗濯の要は清潔にあり」。使い捨てに勝る清潔なし。先生曰く、「干せば花粉など浴び」ると言ひ、「以ての外」。至極ご尤も。掃除:先ず以って、ゴミを出さぬが要なり。塵芥の類、自然循環にて雲散すべし。人亦自然の一部なり。塵芥にて苦しむなどまさに自業自得とも心得、先ずは心療科にて「清潔病」なる病の心療を施すが肝心。ビニール袋など古来在らぬものにつきては、人知の及ぶところに在らず、勝手次第とのたまう。ただ神のみぞその行方知るところなり。

 

 

漂う世界

漂うひと

今年後半にはまたエルニーニョ現象が起きそうだという。数年後の日本では生まれる人の倍の人が死に、間際のケアが不足するらしい。一方で、世界の人口は80億が目の前に迫り、食料・エネルギーを巡ってさらに取り合いが激しくなり、一層偏ってくる。世界中で紛争が起こって難民が右往左往し、そのことがさらに紛争を引き起こす。企業世界での無人化は一層進み、若いひとの大半は職につくのをあきらめる。

何を考え、何をすればいいのか。何が正しいのか、もう誰も分からなくなっていると思えば、そんな風にも見えてくる。じっと立ち止まって考えることも難しい時代。「アラブの春」などどこへ行ったのか。もう誰も口にさえしなくなった。

 

春めく−2

 

 

春めく−2

ここ数日、まるで本当に春が来てしまったかのようだ。けれどこのあと再び冬に逆戻りすると言う。まさに三寒四温。

急に暖かくなると、すぐ桜の話題がマスコミに持ち出される。そうやって一年中釣られて、足元を見るのを忘れてしまうのが、お互いに幸せなのかも知れない。