感性は、シマウマのお尻

感性とは、究極的にいえば肉体的、精神的な満足感を得ることに直結した「身体全体の統合的なはたらき」。ポイントは、それが計算の結果によるものではなく、「直感的」であること。

直感的とは、結論に至る、その速度が逐次的ではなく反応的であること。途中が殆ど省略されて、いきなり結論あるいは結果が「出ている」こと。知識や感覚や経験の瞬間統合。大事なことは、それが「感性貧しい」誰にもあるということだ。

「シマウマが、尻にライオンの爪を立てられた瞬間」を感覚的に想像できるようなら、感性は決して貧しくない。

朝日をなぞる

朝日

青い布の上に朝日が差している。カーテンの模様が映っているのを、チョークでなぞってみた。

手を描くというと、自分の手を紙に押し付けてかたちをなぞる同級生たちが何人かいた。つまらないと思ったが、人類史的に見ると、世界中の洞窟などに古代人たちが全く同じことをやっている。たかだか数千年前、一万年前とでは、人類の基礎レベル的にはほぼ同じなのかと、妙に納得できたことを思い出した。

地球はおよそ150億年後には、死を迎える太陽に飲み込まれて消滅する、と科学者たちが言っている。その半分までも人類が生き残るとはとても思えないが、人類最後の日、同じように朝日をなぞる人もいるかも知れない。

 

自然体、とは言うけれど

女装する男性タレントが急に増えた、気がする。その逆もいるのだろうが、女装タレントの方が目立っている。

タレントでなくても、街中のリサイクル・ショップなどでも時々見かける。LGBTなどの知識がなくても、たぶん社会的にも認知され始めていると感じ、本人にとってその方が少しは自然体に近い気がするのだろう。

自然体が良い、と社会のあらゆる分野で言われている。けれど、一方で社会というものは、猿や鳥、蜂の世界でさえ、自分勝手なはみ出しを許さないものだ。規範からのはみ出しを許すことは、時に全体の死をもたらすことでもあるからだ。

とすれば、自然体(自分流に生きる)ということは、相当な覚悟がないとできないってことだ。或いは阿保になるか。「ちょこっと」自然体(の真似ごと)をする程度が自然体か。