アスリート

深夜、YouTubeでパリ・オリンピックでの陸上競技女子5000m決勝、最後の一周だけ見た。えっ?これ5000m?400mの間違いじゃない?と思うほど凄かった。ちなみに、わたし高校生の時は陸上競技部です。

オリンピックを見慣れてしまうと、負けた選手ってどうしても弱く見えてしまうけれど、彼らが一般人と比べたらどれだけ “超人” か、何の競技でも、少しでも経験のある人なら想像できると思う。

陸上競技男子100mを調べてみると、1960年ローマ大会での優勝記録が10秒20(2位も同タイム)。1964年東京オリンピックでは、アメリカのヘイズ選手が手動計測では10秒の壁を破ったかに見えたが、この大会から正式採用された電子計測による公式タイムは10秒00。2位は10秒20。2024年パリオリンピックでの「参加標準記録」は10秒00。東京オリンピックでの優勝記録を超える選手でなければ、そもそも出場できないのである。
 2024パリ・オリンピックでの100mの優勝タイムは9秒79でアメリカのライルズ選手。2位は同タイムでジャマイカのトンプソン選手。決勝の8人中7人までが写真判定という大接戦。日本代表のサニブラウン選手も準決勝で9秒96だったが、決勝には残れなかった。

あらゆる競技のどれか一つでも、実際に目の前で見られる人の割合は極めて小さい。ほとんどの人はテレビなどのモニターを通して見る。わたしもその一人だが、一度だけ100m10秒台の走りを目の前で見たことがある。その印象を一言で言えば、まさに「異次元」だった。
 わたしはどちらかといえば、敗れた選手の心の方に関心がある。オリンピック出場選手はすでに「成功者」であり、賞賛に値する。けれど、代表選考で漏れた選手もまた紙一重、努力においても結果(記録)においても。アスリートというのは、凄い。

立秋

「危険な暑さ」とか言ってるうちに、今日は「立秋」。秋らしさの微塵もないが、暦上はそうなっている。外を見れば確かに曇っていて、予報では夜の9時頃に、雨の確率25%。

パリ・オリンピックがたけなわで、大腸菌だらけのセーヌ川に選手を泳がせたとか。南米ベネズエラでマドゥーロ独裁政権に対する反政府運動が始まり、暗殺された?プリゴジンが率いていたワグネルが、マドゥーロ独裁政権側の助っ人としてデモの鎮圧に関わったり、ハマスの最高指導者ハニヤ氏がイランの首都でイスラエルの情報機関モサドによって暗殺され(イスラエルのメディアによる、という報道)、メンツを潰されたイランが数日中に報復するとか、ここ1週間ほど急速に盛り上がっていたバングラデシュの首相退陣要求のデモが首相官邸を取り囲むに至り、とうとうハシナ首相がインドに逃げ出したとか。世界はまさしく「地球沸騰」状態にある。

日本の夏は暑いが、沸騰ではない。むしろ、世界の沸騰からはガラパゴスのように遠く、経済力世界第3位とか第4位とかいう割には、ひたすら蒸暑いだけの無風?状態のようだ。それでも、「コップの中の嵐」という言葉があるように、「日経平均の乱高下」、「危険な暑さ」や大雨などの災害があり、経済や気候を通じて、一応世界とは繋がっているんだなーとは感じられる。株価の変動や気象災害も、当事者には小さくないは思うけれど、暴動や戦争に比べれば、という意味ですが。

立秋という言葉には「爽やかさ」と同時に、去る夏を惜しむ「寂しさ」が込められている。俳句などでは、この2つの感覚が同時に意識される。確かに、沸騰する地球の中で、「蒸す」だけならまだしも爽やかかも知れず、世界から取り残されていく寂しさもあって、「立秋」は、今の日本にぴったりの語かもしらん。

ある風景

数日前、イスラエルのネタニヤフ首相がアメリカ連邦議会で演説をした。共和党、民主党双方の議員たちの招待だということだったが、欠席する議員も50人以上いたといい、出席しても、「戦争反対」のプラカードを文字通り胸に抱えながら聞いている議員も、映像では見えた。

ネタニヤフ氏の主張を一言で言えば、「もっと、サッサと武器をくれれば、すぐにやっつけて見せますよ」というもの(第二次世界大戦で当時のチャーチル英首相がそう言ったと例を引きながら)だったようだ。これにほとんどの議員がスタンディングオベーションで応えていたのが印象的だった。

彼のこれまでの言い方を敷衍すれば、「悪いのは常にパレスチナ人」であり、「(直接は言っていないが)彼らさえいなければ、平和が訪れる」とでもいうことになりそうだ。ナチスの被害者であった彼らユダヤ人だが、今や立場を180度変え、イスラエルこそが “民族浄化” を掲げたナチスそのものになり果てた感がある。
 プーチン大統領も「ウクライナのネオナチをせん滅する」ことを侵略戦争の大義にしているが、同様の意味で、ナチ化しているのがどちらかは明らかだろう。恐怖を感じさせるのは、ネタニヤフ氏の演説に対する米連邦議員たちの対応である。特に共和党のトランプ前大統領は娘婿がユダヤ人であることもあってか、2017年にあえてエルサレムをイスラエルの首都と認め、それまでのパレスチナとのさまざまな折衝に当たってきた米総領事館を廃止、アメリカ大使館をエルサレムに移転するなど、100%ネタニヤフ氏の側に立つと想像される。バイデン政権になって、総領事館は再開したものの、バイデン氏もまた基本的にイスラエルよりの姿勢である。たしかブリンケン国務長官の両親もユダヤ系の人だったと思う。

カマラ・ハリス氏がもし大統領に当選しても、このイスラエル寄りの姿勢が変わることはあり得ない。比較的若い世代のアメリカ人たちが、このナチ化に反対し始めている(彼らは反ナチ化とは言わないが)ようだが、分断のアメリカで、この動きがどこまで広がるかは疑問である。殺す側の大義はいくらでも転がっているが、殺される側には石ころしか転がっていない風景である。