がんばろう、自分。

The man in shelter  210*270cm 2011

今年の晨春会展の出品作。「少しずつ、制作が進んでいます」でさわりだけ紹介した作品だ。シェルターの中で、ご丁寧にもカプセルに包まれている。見る人はきっと福島原発から空中に放散された放射能との関係を読み取るに違いない。

実は、カプセルのアイデアは「花粉症」対策のヘルメット?から。花粉はそれ自体が小さな一つの生命体。それが体の中に入り込む時、それぞれのDNAとの関係が、さまざまな問題(長い目で見れば必ずしも悪いとは限らないのだが)を引き起こす。時には進化との関係で、革新的あるいは破滅的な影響を与えないとも限らない。放射能のような単純な悪影響だけのものとはレベルが違うのだ。が、放射能問題は生活の問題、つまりお金のことがストレートに関わってくる。生活の深刻さに誰しもが他人事でなくなるから、つい、この絵と放射能を結びつけてしまうのだろう。

3月11日から既に100日以上経った。既に?いや、まだたったの100日しか経っていないのだ。復興だ、この機会に新しい産業構造にシフトせよ、未来への都市計画を云々・・。この国は悲しむ暇さえ与えてはくれないのだ。1年間くらい、国民すべてが喪に服すくらいの気持ちがどこからも生まれない国だ。こんなことをしていては日本経済が駄目になってしまう・・という経済界の声、それしか聞こえない政界の耳。石原幹事長、国民的ヒステリー状態というのはこういうことを指すのだよ、分かってないんだな。

悲しみは泣くことによって解消されるのだそうだ。泣く事のできない悲しみは、一生、心に焼き付けられてしまうという。思い切り泣くことで、はじめて心が解放され、生きる希望が自然に湧いてくるということは現代心理学の定説だ。なのに、マスコミやこの国のエリートたちはこんな常識も無い、というより発想が無い。金を与えれば悲しみは消えると思っているらしい。

がんばろう、日本。もう、やめてくれないか?君はもう、一人じゃない。それも止めてもらいたい。そうではなくて、もっと正直に、自分の胸に直接聞くことが大事なんじゃないか?震災でなくても、人にはいつもそれぞれの悲しみがある。だからこそ震災にも共感できるのだ。まずは小さく自分の心にエールを送ろう。「がんばろう、自分」って。

時間という宇宙

Astronaut (part) f4 (unfinished)

宇宙工学は、ある部分で最先端の部門でもあるし、見方によっては頭打ちの学問分野でもあるらしい。技術的な部分に関しては最先端の実験装置であり、学問的には基本的に古典的なニュートン力学の範囲に収まるからかな、と勝手に解釈している。

「叫ぶ男」(2008)からわずか3年で、地を這っていた男がいきなり宇宙へ行ったような絵だと思うだろう。確かに。でも、恐竜が滅んだ原因の一つの説として、巨大隕石が地球に衝突して出来た衝撃とその後の気候変動があげられているように、宇宙と恐竜はつながっている。そのように原始的・野性的な「這う男」と科学技術の粋「宇宙飛行士」は私の中では全然矛盾せずに重なり合っている。いや、むしろ同一視していると言ってよい。

昨年の「新生 №5」は両生類を思わせる胴長人体?だった。これも両生類→爬虫類→哺乳類→男?と私の中では→より、むしろ=のようにつながっている。どういう理屈でつながっているというのだ!と憤る人がいるかもしれない。たとえばこれらの動物は皆、地球の重力の影響を受けている。同じ時間をかけて進化し、体の構成元素もほぼ同じもので、その割合も驚くほど近い。感覚や神経だってそう大差無いだろう。つまり十分すぎるほどに共通項は大きい。どころか、違いなんてほんのちょっとだ、と私は感じているわけです。

光速より速いものが無い以上、タイムマシンで過去への旅行はできない。一方で私達はたとえば化石の中から恐竜のDNAを取り出せるところまで来ている。つまり、科学技術が一種のタイムマシンになったことになる。それは過去と現在を同じ次元に並べてみたい、という想像力の結果に違いない。時間や重力から想像力をほんの少し解放してみたいと思う。       2011/6/18

現代の化石

Astronaut (part) f15 Mixed-medium 2011

青森県下北半島、東通村の砂子又(すなごまた)にヒバの埋没林(重要天然記念物)がある。埋没林とは数百年前の超巨大地震、大津波によって、一瞬にしてヒバの大森林が立ったまま砂の中に埋もれてしまったものだと説明されている。それが小さな水の流れで少しずつ、少しずつ砂が浸食され、埋もれた大森林がかつての姿を徐々に現わしてきたものだ。大きなヒバの木は現在生えているエゾクロマツの木よりはるかに太く、樹齢は百年を優に超えるという。その木は今もヒバ独特の芳香を放ち、現在立っているヒバの木と見分けがつかないほど新鮮だ。生きているといっても大抵の人は信じるだろう。いや、本当はかすかに生きているのかも知れない。

つい先ごろ、私達はテレビで真っ黒な水が家々を呑み込む巨大津波を見た。黒い色は海底のヘドロの砂だ。あの数十倍、数百倍の大量の砂が海の底から噴き上がり、一気に森を覆い尽くしてしまった。そんな巨大津波が、下北半島にもあったと埋没林は教えている。(下北半島には日本最大の砂丘がある(鳥取砂丘の数倍はあるらしい)。が、下北半島国定公園内にありながら観光に利用されることもなく、防衛庁の実弾射撃試験場に使用されて巷に知られることもなく、ただ砲弾の破片を撒き散らすだけになっている。)

倒れた鉄塔が、恐竜の骨に見えた。歩きながら化石化する、化石化しながら現代に姿を現わしてくる。恐竜時代だろうと現代だろうと相対論的には全く繋がっているらしいから、私の骨に対する嗜好は決して過去的なものでもなさそうだ。秩父・小鹿野町から群馬県・神流(かんな)村?につながる志賀坂峠には恐竜の足跡化石がある。ぬかるんだ泥地を恐竜が歩いた足跡が、その後の地殻変動を経て、垂直な崖になっているのを見ることができる。私達の時代の化石は、今現在そのままの姿で見えている。    2011/6/16