下北から帰ってきた。

2011暮れ・下北

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。たくさんの年賀状を頂きました。ありがとうございます。でも、私は今年は1通も出せずじまい。申し訳ありませんでした。

12月に入ってすぐパソコンが壊れて修理に出し、年内には修理出来てきたのですが、既に私は24日には下北へ父の様子を見に帰っており、今年の年賀状はやめてしまいました。25日から1月4日まで11日間毎日父の病院へ介護?の手伝いに、山道を越え車で片道1時間から1時間半かけての病院通いをしました。

8月の手術、11月のリハビリ病院への転院と今回の転院と3つめの病院ですが、そのたびに一つずつ出来なくなってきています。手術直後はちゃんと話もでき、自分の名前も生年月日なども正確に答えられたのが、次の病院では話が出来なくなり、家族を認識できなくなりました。今度の病院ではもう食べさせて貰ってさえ食事もままならず、痩せていく一方です。身体も硬直してカチカチ。リハビリ専門病院なのに???と思いましたが、とにかく食べなければそれで終わり、と自分の仕事を昼食だけでもしっかり食べさせることに絞りました。家族のできることはわずかです。でも家族でなければできないこともあると感じた11日間でした。

慣れない雪道も初めは恐々でしたが、慣れてくるに従い周囲を見る余裕もでき、山道のテラテラと光るアイスバーンのドライブも楽しめるようになりました。何より、汚れていない雪の美しさ、風で粉雪が舞い、道か雪原かの見分けがつかないような雪の表情の美しさを毎日見られたことは、とても私を元気づけてくれたのです。寒気に澄み切った空気の清々しさ。何だか忘れ物を取りに帰ったような気持ちになりました。

下北では咳をしている人を一人も見かけませんでしたから、風邪のことなどすっかり忘れていましたが、昨日(5日)夕、新幹線で大宮駅に着いたとたんの大勢の咳の人々。ああ、ここには風邪があるんだった。そんな気持ちと、美しい雪景色を心の中に大事にしまいこみながら、今日からまたこの中で自分は生きていくんだと感じながら帰宅しました。

いよいよ個展だ。

ホニュウルイの風景 F6 2011

いよいよ個展。全然準備らしい準備も出来ておらず、これからジョイフルへ行ってテープを買い、額縁代わりに周囲をぐるりと回して出品しようという横着な神経に、我ながら愕然としているところ。ここ数日は筆さえ握る時間が無い(このブログは?)。

最大作はほぼ300号の「円盤投げの男」(あえて未完のまま出品)。なぜ円盤投げなのかは会場で考えて下さると有り難いですが。最小は4号の数点。時間からいえば4号、6号がもっとも時間がかかり、大きくなるほど短時間で描かれている。それは今回だけでなく、いつものことだ。たぶん私自身の内面的な性向がそういう結果につながっているのだろうと思っている。

「ホニュウルイの風景」は出品作の1点。今の段階での感想だが、本当は今回の真のタイトルはこれだったかも知れないと感じている。作者としての私の思いは別にして、見て下さる方のすべてに、ポジティブなもの、ネガティブなもの、それぞれいろんな感想があると思う。ぜひ、それを聞かせて頂きたいと願っている。 2011/12/06

今年の最後は「めまい」で終わるのか?

HANA(水彩・部分)2011

個展を目前に控え、忙しいのと体調不良とで、最後のチャレンジが止まってしまった。

忙しいのは仕方ないとして、困っているのは「めまい」。数日前の朝から急に始まった。

朝、布団を上げようとした瞬間、天井がグルグルと回り出し、布団の上に突っ伏してしまった。「昨日無理はしなかったはずだが?」ととっさに回想した。ヘルニアのある首への負担が原因だと思ったのだ。すぐに治まったが、ふたたび体を起こしたら、またしても天井が回る。

幸い、その2回だけでその日は済んだが、車の運転の時は緊張した。ひょっとした拍子にめまいが来たらどうしようと心配だったが、何とか仕事は終えた。頭痛はないが、頭の中に圧力が感じられる。血圧を測ると125-92。上はともかく最低血圧が高すぎる。普段は血圧優等生で100-70前後。時々上が100以下になり、低血圧ではないかと心配になるほどだから、この92はとても気になった。めまいは今も時々起る(寝ていても)。ネットで調べた限りでは良性で、放っておいても数カ月以内に治るものらしいのだが。

その日実家の弟から電話。父の容体に重大変化かと緊張したが、やっと地元に近い病院への転院の話だった(これまでは病院へ通うこと自体、体力的にも大変な負担だった)。これからのことについてもいろいろ話し合おうということになった。父の具合も気になるし、個展終了後なるべく早く青森に行かなければという気持が強くなった。

田舎は医師も病院も限界に近いほど不足している(そのために一つひとつの病院が過密になり、医師の負担は増し、高齢の患者ばかりが溢れている)。近くに転院出来たといっても、車が無くては見舞い一つが大仕事になってしまう。青森まで、一人で車を運転し、帰ってこなければならない。それ自体も大きな負担だが、途中でめまいでもしたらどうしようと、新たな不安がある。今年は最後の最後まで、落ち着かない年になりそうだ。