極小の風景

私のいる三角形

前回の習作で、三角形の中にチラッと風景の破片のようなひらめきを感じたので、その方へ少し進めてみた。あくまでトレーニングなので、あれこれ考え過ぎず、まずは描いてみる。やり過ぎ、思考不足があるのは当然。

青の微妙な明暗と、色の深さの幅だけで空間を作れるようになりたい。ここでは精神性など全く求めない。新たに発見できた部分も少しはあるが、色の使い方がまだ行き当たりばったり。技術的な課題がクリアされていない。

一つの法則性を確立することがとても大事だと思う。絶対的なものがあるとは思わないが、よりドライなもの、変わらないものを少しずつ掴み、積み上げる。他に選択肢がないのだから、仕方ない。

 

三角形、四角形、円

三角形、四角形、円

色々と試行錯誤しているが、ゴールがあるわけではない。ひとつひとつ技術的な課題をクリアし、さらに新たなヒントを発見する、純技術的な試み。

毎回毎回新しい試みをするわけてはない。一度できても、それがまぐれということもある。一度現れた効果を何度も再現できることも、とても重要なことだ。技術に頼る絵はつまらないが、技術がなければ発想さえできない(こともある)とクレーも言っている通り。

 

ホイッスル

これが顔に見えること自体が不思議といえば不思議

ホイッスルって、そうアレ。これが楽器に数えられるようになってもう数十年。以来スティールパンはじめ、いろんなものが楽器になっているが、ホイッスルは最もシンプルなものの代表だろう。ほぼ口笛(元々は鳥の声)感覚。

ホイッスルには別な意味もある。しかも「音の出どころを探せ」=「注目せよ」という「命令形」だ。かなり耳障りな音なのに、(多くの場合)自分に危険が迫っていることを知らせてくれる、「善意」の「耳障り」という社会的、感覚的了解が成り立っている、数少ない例だ。

それを「音楽」に重ね合わせたセンスに、あらためて感心する。感覚が柔軟だということ。日本の社会で暮らす限り無理だな、と(ほぼ根拠なく)思う。