忘れてならないものは他にもある

窓辺のプリムラ

6年前の今日、あの東日本大震災があった。あの災害は自然災害と人災が引きずられるように連動し、史上最悪の災害となった。ここ一週間ほど、毎日報道され「忘れてはならない」と呼びかけられている。

忘れてはならないものがもう一つある。被害者差別である。東日本大震災だけではない。被災した人々を追い討ちする、「金を手に入れた」。どこで誰がどう流すのか知らないが、いかにも事細かく、まるで事実であるかのごとく、まるで詐欺でもあるかのごとく、水が流れるように素早く、隅々まで流れていく。

それは底辺へ行けば行くほど、そこが乾ききっていて、水が染みてくるのを待っているということでもある。そこでは清水も泥水も区別がない。幸福や希望や家族を売って金にしたわけではない。のに、金額だけ(それも、部外者でなければ知り得ないほどリアルな)が水面に浮いたゴミのように流れていく。

この貧しさが、経済大国日本の、そして私たち自身のもう一つの顔であることも忘れないようにしよう。

ミサイル・ビジネス

ずいぶん、きちんと片付いている

北朝鮮がまたミサイルを撃ったらしい。久々に4発。ニュースではそのうち3発が日本の領海近いというが、残りの1発はどこへ?北朝鮮も、打つなら毎日100発、一年くらい続けて撃ってみろ。それなら本当の拍手ものだ。自国で強制的に拍手させても、見る方はシラケさえしない。

「風が吹けば桶屋が儲かる(という冗句ももう化石か?)」式で、世界経済は動いている。この寸言の現代的な意味は「誰かが風を吹かせている」ことにある。それはもちろん「桶屋」である。商店名は不明だが。

 

 

 

 

三宅一生 / Issei Miyake

これは何でしょう?

三宅一生(みやけいっせい)の服のデザイン。ショートのワンピース。下から頭を通し、上の丸い部分を肩まで折り返す。赤い部分が袖で、手の甲まで覆う。正面は谷折りを広げたようになる。

三宅一生は一枚の布を、「折る、穴を開ける、閉じる」という、極めて基本的、かつシンプルな手数だけで「服」という概念を満足させるデザインにチャレンジしてきた。いわば服飾のミニマリズムを目指してきたということ。しかも、同時にモダンデザインでなくてはならない、というハードルを自ら課して。

それが優れたデザインであるかどうかは技術的な問題。大事なのは何故一枚の布(でなくてはならない)なのか、それが正しい問いなのか、さらにそれをどう検証すべきなのかを「自ら考える」ことにある。三宅一生が、その辺のデザイナーと別格なのは、いまだその問いの只中に居ようとしていることにある。