春の雨

制作中

久しぶりの雨。今日の最高気温は13度の予報。現在9度だが全然寒い感じはしない。ずっと着続けていたセーターを、「臭いよ」と言われて洗濯した。蓑虫が蓑から出た気分。

絵も久しぶりに加筆できた。赤茶系のモノトーンから、地色・ベースの色を入れた段階。この色と白を交互にくり返しながら完成に向かっていく「予定」

この荒っぽさをどこまで残し、どこまでフラットな色面にするかがミソ。頭の中のイメージはできているが、どうやってそこに到達するかはやってみないとわからない。ゴール直前になって、終点が横にそれることもある。とりあえず、今のところは植物が雨を受けて芽や根を伸ばしているのと似た状態にある。今が制作プロセスの中で一番危なっかしく、楽しい時なのかもしれない。

明日から「青いカモメの」展覧会

「Apple」F10 テンペラ

作品を車に積み込んだ。予告どおり明日は搬入・陳列、そのあと午後1時からオープンです。皆さんのご来場を待っています。

わたしも5点出品します。「も」は他にも5点出品する人が10人くらいいるから。ほぼミニ個展ですね(いずれもスケッチ2点を含みます)。掲載のこの絵はたぶん、もう1年以上前の制作かな。完成後、置いとくスペースがなく、あちこちに蹴っ飛ばされながらも、なんとなく目の前にウロチョロしているので、「出たいなら出してあげるよ」と出品することにしました。

「こんな絵で、すみません」とわたしの代わりに絵がちょっとだけ頭を下げてくれているようです。いやいや、ごめんね、でもわたしの代わり頼むよ。

でも、まあ、こんな単純なかたちだけど、わたし程度の代理なら十分勤めてくれそうです。ほかの皆さんの絵はこんなものじゃなく、もっとストレートに頑張っていますよ。ぜひ、ご覧ください。

青いカモメの会絵画展、22日から

青いカモメの会絵画展案内状

青いカモメの会絵画展が22日(水)から始まる。そのための準備が進行中だが、個人個人の作品準備はどうやら一段落ついた感じがする。まだ、準備が全然出来ていないのはわたしだけだ、きっと。

出品作品を事前に見せてもらっているが、けっこう面白い作品がある。手前みそだが“老齢スクール”(失礼承知ですが、ごめんなさい)としては意欲的で、若々しい作品が多いと思う。ぜひ、多くの人に観てもらいたい。

一方で、本人または家族に、あちこち不調ができることも年々多くなってくる。年相応、どうしても避けられないことではあるけれど、無理しないでと思うようなときもある。そんななかでも、みんなが絵を描く気力を保っていることは誇らしい。彼、彼女らの絵には日常と非日常が、渾然一体となってきているのを感じる。描くことが特別なことではなく(それなりのプレッシャーはあるにせよ)、日常の一部になりつつあるのを感じる。
 「芸術」がなんだか特別な人々だけの、手の届かぬ世界のことのように思っている人がいまだ大多数に違いないが、そのような行き方では芸術は死んでしまう。絵画に限らず、芸術家は常に人々が芸術を「日常化してくれること」を切望してきた。表現としては同時代の人々の理解をこえるものであっても、“それでも理解して欲しい”と訴え続けてきたのが、美術史のもう一つの見方だと考えている。芸術はモノにではなく、人間の中に在る。確かに作品は物理的なモノだけれど、それを作る人の、時代と環境を抜きにしては語れない。環境とはそれを支える人のこと。

青いカモメの会絵画展では、いわゆる“正真正銘の芸術作品”はたぶん期待できないかも知れない。けれど、「青いカモメの絵画教室」ではあえてそれを目標にしてこなかった(チャレンジはおおいに結構)し、青いカモメの会絵画展は「芸術を支える人の芸術展」であることが大事だとも考えている。これまでのツライ「絵画修行」で、絵を描くことの内側を体験、理解してきた。そういう視点を持つこと。それぞれの表現やレベルにもゆっくり造詣を深めてきた。そしてそれがどんなかたちであれ社会に染み出していく。そういう存在になることが大事だし、そうなってきたなあと嬉しく思っている。