チョコレートは研磨材‐さくらクラブ 2

N さん

かたちを正確にとるのが苦手なNさんは、そのぶん?技法や素材研究にはひときわ熱心である。その探究心は趣味で絵を描くというより「研究者」のようだ。今回はともかくかたちをしっかり、などと言っていたが、バッチリでしょう。チョコレートもいいがグミ3個はこの人らしい研究心から。存在感すごい。

H さん

Hさんのスケッチは「原寸大」。きっちり計測して描いてある。実物は小さいので、それを原寸大で描くと、筆では描けそうにない細密なところをどう表現するかが問題になる。そこはスルッとスルーして、原寸大2枚目にチャレンジ。こだわりのナイスガイである。

T さん

なぜかIさんの絵の写真がない。確かに撮ったはずなんだが、うっかり削除してしまったかも。急遽、土曜日からT さんの絵を。T さんも自ら公言する細かい描写の苦手な人。でも、あっさり系ではなく、どちらかといえば「こだわり系」かな。それがいつも一種の迫力に至るのがこの人の個性。器用さ、ではこの重量感は出てこないのではないか。

どこにでもある題材を手あたり次第(でもないが)に描くシリーズを各クラスでやってみた。作者本人の満足度はともかく、それぞれのこれまでとはちがった新しい面が現れてきたのは大きな成果だと、わたしは感じている。わたし自身にとっても、いくつも発見があった。ダイヤモンドも、いくつもの方向から磨かれるから「宝石になる」。同じ方向からばかりの研磨ではただの板ガラスになってしまう。機会をとらえ、何度でもチャレンジしよう。

スター☆はそこら中にいる

モニターの前に勢ぞろい―邪魔なんだが。

ごく最近の「青いかもめ(ブログ)劇場」の出演者たち。照明は悪いのに、皆さんいい顔してますねえ(作業中は単なる邪魔者にすぎない)。

スペースの都合で登場してないやつとか、撮影に間に合わなかったやつ(そうだ、さくらクラブの神戸チョコレートとグミ、どこに隠れた?)とか、「スーパーマーケット」シリーズ最初の、妻に隠された(らしい、自分の物忘れを他人のせいにする)すぐりの会の「湖池屋ハッシュドポテト」などなどなど、どこだ?

これから登場する可能性のあるやつも、早くもチョイ出ししている。いつかアナタの眼の前に出ていくぜ。と、偉そうに手前でアピールしている Bossのコーヒー缶には現在出演依頼を躊躇。確かに魅力たっぷりだけど、「(おれ、ホントは)難しいよっ」て顔してるじゃない?

店頭でどんなにウィンクしてくれても、水彩、油彩それぞれ、どんな手順を踏めば描きやすいか、吟味が要るんだよなー。迷っちゃうけど―“流し目”に単純に応えているわけじゃないンダよね。―でも、さすがデザイナーたちの手腕と消費者の厳しい批評眼を経ているだけあって、どれも魅力的。こちらのやる気さえあればいつでも出演OK! (^^) !だってさ。

「再現性」再考

湖池屋ポテトチップスを描く(油彩)

ここのところ急にポテトチップスだの、チョコレートだのと「お菓子」づいている。「伝統的な『絵画モチーフ』以外」を描くことで、画題的にも、技術的にもあらたな発見を求めようとしているが、これもその一環。今回は、モチーフはそれぞれ異なるが、どのクラスにも同じコンセプトを強いている。どのクラスの分もデモ制作しようと考えたら、毎日 のようにデモ関連の制作を続ける羽目になってしまった。

一番勉強になるのは、モチーフを強いているわたし自身だろう。モチーフ探しの場所もこれまでと180° 違い、近所のいくつかのスーパーだのコンビニだのを回るようになった。CGでも写実というより、写真的な「技術性」を求めて制作を試みている。

写真的描写=上手というだけの低レベルの常識を変えたいという思いから、これまではあえて細かい描写性を遠ざけてきた。けれど、そのことが逆に「伝統的な」絵画性にわたし自身を含めて縛りつけてしまったのかもしれない。そんな反省から、「イラスト」まで含めての絵画「再発見」と現実的な「技術的」観点から、あえて写真的描写にフォーカスしている。

「再現性」に対する人間の欲求はとてつもなく強い。学者の意見を聞くまでもなくビデオだの音楽におけるレコードだのを考えるだけで簡単に想像がつく。再現性に対して「即興的・抽象的イメージ」があるが、「論理性」に目を向けると、「再現性」に関する、人間の執拗なまでの努力の歴史が浮かび上がってくる。これを単に「つまらない・面白くない」というだけでは皮相に過ぎるだろう。好き嫌いを越えて、もう一度向き合いなおす機会でもある、と考えている。