Apple in Green

Apple in Green (エスキース2)

昨日のエスキース、背景が赤で力強い感じを表現してみたが、今日は一転して「グリーン」。第三者目線で眺めてみると、「Appleのふるさと」感みたいで、ちょっともろもろの対象物(オブジェ)が説明的過ぎると思えてきた。

今回のエスキースで考えていることは
①色は平面的に塗る:タッチ(筆触)はあってもよい
②線(時には輪郭線)と色をずらすこと:塗り絵にしない
③線は、ラフで乱れていることを良しとする
④視点を一方向に限定しない:見上げたり見下ろしたりを“勝手に”やる

その結果、絵を見た人がどう感じるかを予想してみると、
①「ちゃんと描けない人だ」=「ヘタクソだ」と思う
②「こんなの子どもでも描ける」と思う
③色はきれいだが、「芸術的な深みがない」と感じる
④難しいことは何も描いてないので、気楽と言えば気楽

若干肯定的なのは④くらいで、たいていは「芸術的な有難味が無い」。要するに「ダメな絵」をわざわざ描いているってことになるだろうか。先日までのCGスケッチにせよ、写真的な描写の練習にあんなに時間をかけてきたのは何のためだったの?(このブログを初めて見る人は、2021末頃~1,2週前くらいまでササっと見て頂けると有難いです。すんません)と思う人多いと思う(実はわたし自身もそんなこと感じながらいつも描いている)。

今の段階で答えられることは
①「思わせぶり」「考えている風」な絵は描かないことにしたい
②「芸術」よりも「造形」を重視
③単純にきれいな色は気持ちがいい→アタマ空っぽになる
くらいでしょうか。20年前なら、これはすべて逆でした。つまりわたしの「絵画観・芸術観」は180度変わったってことです。きっと「あたま大丈夫?」って感じでしょうね?

スターバックスを描いてみたら・・・

スターバックスのエスプレッソを描く  (CGスケッチ) 

「スターバックス」を描いてみた。単純な色づかいで初心者向きかなと、教室でのモチーフ用にサンプルとして買っておいたもの(我が家の誰かにすでに飲まれていたが)。

近くで見ると、暗い部分だけでも数段階に分けられていて、しかも明暗差が非常に小さい(微妙)。それを教室の人たち全員が「絵の具で」表現できるとは思えないと感じて断念した。そこがこのデザイナーのプライドなのかもしれません。

仮に「水彩」で描くとする。水彩は「明→暗」という一方通行しかできない画材。色を見分けることができたとしても、所定の明度に収めるためには、バランスを比べながら最低でも数回の塗り重ねが必要になる。筆で描けば必ずいくらかずつズレが生じる(その良さもあるのだが)。そのうえで、離れて見ればピシッと決まるためには、巨大サイズでないと、描き分けが難しい。web 上と実材(絵の具、紙など現存の素材)の感覚の違いの一例。

こういうモノを描くようになって感じるのは、「デザイナー」ってすごいなってこと。「芸術至上主義」的に生きてきたわたしには、どこかで無意識にデザインというものを「芸術」より軽視する気持ちがあったのかもしれない。最近のスケッチを通して、ひしひしと反省している。

キャラメル・ポップコーン

Caramel Popcorn (CG)

ポップコーンを食べたのは何年ぶりだろう。子どもが小さかったころの記憶しかない。別に食べたかったわけではないが、ふたが開いたように描きたかったから。選んだ理由も絵のモチーフに使えそうだっただけ―こう言ってしまうとメーカーに申し訳ないが、久しぶりの味はまあまあ美味。

漢字に「筆順」があるように、こんなスケッチにも「描き順」がある。それに従わなくてももちろん描けるが何倍かは苦労する。その順序に「公式」などはなく、はケースバイケースで、経験から割り出すものしかない。たぶん法則性はあるのだろうが、それはずっと先の話。

今日も2時間近くスーパーの店内をうろついた。いったん決めたものを棚に戻したり、傍から見ると「何やってんだろう?」と不審がられているかもしれない。明日は(もう今日だ)は「(イワシの)目刺し」。教室が生臭くなりそう・・・絵のためだ。我慢したまえ。